物を大切に扱う精神の伝承。道具に魂が宿った付喪神。
私たちの生活を便利で豊かにしてくれる道具たち。
何度も使い続け古くなった道具には、魂が宿るという考え方が古くから日本に存在します。
そしてそれは意思を持って動き出すというのです。
今回は日本の伝承の一つである「付喪神」についてご紹介します。
付喪神の成り立ち
物語を読んでいると時々「付喪神」という存在が登場することがあります。
『付喪神(つくもがみ)』とは「長い年月を経た道具に魂が宿り、意思を持ったもの」、いわゆる「妖(あやかし)の類」とされています。
付喪神は古くから日本で信じられてきましたが、その考え方はどのように遷移してきたのでしょう。
『つくもがみ』という言葉が、初めて現れるのは平安時代のことです。
つくもがみの「つくも」は「九十九」という漢字の読みでもあります。
数字で九十九の次である『百』は「ひゃく」という読み方以外に「もも」とも読みます。
「九十九の次は百」なので、九十九のことをかつては『つぎもも』と読んでいました。
この「つぎもも」が短く訛って登場するのが、平安時代に成立した歌物語『伊勢物語(いせものがたり)』です。
伊勢物語は短い仮名文と歌を1段とし、全125段から成っています。
その中の大体26頁辺り第63段には、次の歌が書かれています。
もゝとせにひとせゝたらぬつくもがみ われをこふらしおもかげに見ゆ
(百年に一年たらぬつくも髪 我を恋ふらし面影に見ゆ)―『伊勢物語』
この歌は主人公の男が、陰から自身を覗き見る老女に気づいた時に詠んだ歌です。
「百年に一年足らぬ」という部分は「つくもがみ」に二つの意味が掛かってきます。
一つは前述の「数字の百から一を引いたら九十九になる」こと。
もう一つは「百」という漢字から「一」を引くと『白』という漢字になることです。
「白い髪の女性」といえば「年女」を指します。
つまり「つくも髪」は「九十九髪=白髪」であり、この時点で「つくも」には「長い年月」という意味が掛かります。
余談ですが、昔「ツクモ」と呼ばれていた水草の植物「フトイ」は枯れると白くなり、まるで白髪のように見えたことから「つくも髪」と掛けたという一説もあります。
では「つくもがみ」が「妖」と繋がるのはいつ頃なのか。
それは室町時代に成立した、伊勢物語の注釈書の『伊勢物語抄(いせものがたりしょう)』です。
大体85頁辺りに先ほどの第63段についての注釈が書かれています。
つくもがみとは、百鬼夜行の事也。陰陽記云、狸𤞟狐狼之類満百年致人恠喪、故名属喪神といへり。是はりとうころうとうのけだ物、百年いきぬれば色々のヘんげと成て人にわづらひをあたふ。是は必夜ありきてへんげをなすゆへに、夜行神ともいふなり。九十九といふ年よりへんげそむる也。仍百年に一とせたらぬつくもがみといふ。女九十九にはあらねども夜ありきて業平をのぞきてわびしく心くるしき喪(わざわい)をつくる故に付喪神といふなり。又、海につくもといふもの有。人のかみのちゞみたるに似たり。年のよりたるひとのかみはつくものやうに成といふ心も有たれども、夜行神事、実義也。
―『伊勢物語抄』
『百鬼夜行(ひゃっきやこう)』とは「深夜に徘徊する鬼や妖怪の群れ」のことです。
注釈には、狸や狐などの獣が100年生きると「つくもがみ」に変化する、夜中に出歩き覗き見をする女の行為を「つくもがみ」という、人の縮んだ髪に似ている海藻を「つくも」と呼ぶなどと記載され、これらを総じて百鬼夜行と同一のように説明されています。
実は伊勢物語の女が行った覗き見は『垣間見(かいまみ)』と呼ばれるもの。
平安時代、成人した貴族の女性は「家族であっても男性に顔を見せずに生活する」のが当たり前でした。
そのため、男性は女性を見る機会がほとんどなく、恋愛をするきっかけが無かったのです。
そこで恋愛のきっかけ作りに「男性が女性の家を覗き見し、女性の顔を見る」という行為があり、これが「垣間見」なのです。
理由にもある通り、本来は男性が女性に行うため「つくも髪」の女の行為は特異な事です。
そのため、つくも髪の女性の行動の異常性がまるで百鬼夜行のようだと繋げられたのでしょう。
ここから「つくもがみ」と「妖」に接点が生まれているのです。
さて、妖の「つくもがみ」が道具の「付喪神」となるのは、室町時代に描かれたお伽噺の絵巻物『付喪神絵巻(つくもがみえまき)』です。
絵巻物の冒頭には次の一説が書かれています。
陰陽雑記云。器物百年を経て、化して精霊を得てより、人の心を誑かす、これを付喪神と号すと云へり。是によりて世俗、毎年立春にさきたちて、人家のふる具足を払いたして、路次にすつる事侍り、これを煤払といふ。これ則、百年に一年たらぬ付喪神の災難に、あはしとなり。
ー『付喪神絵巻』
これによると「作られてから百年を経た道具には魂が宿り、人の心を惑わす付喪神になる」と書かれています。
人々は道具が付喪神になることを恐れ、毎年立春の頃に行う「煤払い」の機会に古い道具を道に捨てているのです。
しかし、そんな道具たちが大切にされず捨てられた恨みから、結局付喪神となって人々を襲うようになった・・・というのが付喪神絵巻の概要です。
「百年に一年たらぬ、付喪神」というフレーズは、まさに伊勢物語をインスパイアしているのでしょう。
このようにして「付喪神」という妖が誕生したのです。
ちなみに妖に関連する文献の中には「別の生き物が妖怪となって道具の姿をしている」という、今回ご紹介した付喪神とは少し違う存在もいます。
色んな種類がいる付喪神
付喪神は、あらゆる道具が変化したものです。
そのため、道具の数だけ付喪神がいると言っても過言ではありません。
とても全てをご紹介できないので、一部だけ付喪神をご紹介します。
捨てられた和傘が恨みを持って変化したとされています。
傘の軸が一本足になり、一つ目で下駄を履いている姿が一般的です。
数々の物語に登場する有名な妖ですが、実は伝承が殆ど残っておらず、謎の多い妖です。
照明器具として使用されていた提灯が化けた姿といわれています。
上下に割れた部分が口になっており、舌が出ている姿はよく見かけると思います。
人を驚かす妖ですが、中には魂を吸い取るという怖い話もあります。
古くなった鏡に魂が宿った妖といわれています。
中国に魔性の正体を映し出す「照魔鏡(しょうまきょう)」という鏡があり、そこから派生したものと考えられます。
鏡なので光を跳ね返す能力を持っていることがあります。
平安時代の一般的な乗り物「牛車」が妖になったものです。
貴族が祭礼の場などで牛車を見やすい場所に移動させたときの場所取り争いに敗れた怨念が原因だといわれています。
名前の由来は朧月夜に現れたからなのだとか。
古来の創作物から数々の付喪神が登場していますが、現代の創作物にも新しい付喪神が誕生し続けています。
「万物に魂が宿っている」という考え方は世界にも存在しますが、「魂が宿った道具が意思を持って動き出す」というのは日本独特の伝承です。
以前「物の価値を十分に生かしきれず、無駄になることを惜しむ」という意味の日本語の「もったいない」が世界的に注目されました。
古くから「物は大切に扱わないといけない」という日本人の意識が付喪神の概念を産み出したのかもしれませんね。
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