長い耳がチャームポイントの愛くるしさ。兎の神話や伝承を色々。

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神話や伝承には神様だけでなく、沢山の動物たちが登場します。
かつては自然は今よりも豊かであり、人間との繋がりも強かったため、動物とも近しい間柄だったのでしょう。
そんな動物たちが登場する神話や伝承には、いったいどのようなものがあるのでしょうか。
今年は卯年うさぎどしなので、今回は「兎」が登場するお話しを見ていきましょう。

兎と神様のおはなし

兎が登場する有名な日本神話といえば、殆どの人は『因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)』と答えるのではないでしょうか。
国語の教科書や絵本にもなっているので、知っている人が多いのではないでしょうか。
このお話は、日本国を作ったとされる『大国主神(おおくにぬしのかみ)』が国づくりを始めるまでの経緯を説明する神話に基づきます。

大国主には沢山の兄がいました。
ある時、大国主の兄たちは、因幡国いなばのくに(現在の鳥取県)にいる美しい「八上比売(やがみひめ)」に求婚に向かいます。
その際、兄たちは末弟の大国主に袋を背負わせて、従者の様に一番後ろについて来させました。

兄たちが因幡国の気多岬まで来たところ、身体の皮を剥がれた一匹の兎が泣いていました。
兄たちは兎に「海水を身体に浴びて、風が良く当たるように山の頂に伏せなさい。」と教えます。
兎は教えられたとおりにしましたが、身体の海水が乾くごとに体中の皮膚が裂け、更に痛みが酷くなりました。
兎が痛みのあまり泣いていると、遅れてやってきた大国主が「どうして泣いているのか。」と兎に尋ねます。

兎は経緯を話します。
兎は隠岐の島おきのしまに住んでおり、因幡の国に渡りたいと考えていましたが、方法がありませんでした。
そこで海にいる和邇(ワニあるいはサメ)にある嘘をつきます。
「私と君たち、それぞれどちらの一族の方が数が多いのか勝負しよう。君たちは出来るだけ同族を集めてきて、この島から気多岬の前まで並んでおくれ。そうしたら私がその上を踏んで走りながら数を数えるよ。」
和邇たちは言われたとおりに列を作り、兎はその上を数えるフリをして渡っていきました。
そろそろ渡り切ろうとする瞬間、兎はついつい「君たちは私に騙されたんだよ!」と言ってしまいます。
それを聞いて怒った最後の和邇は、兎を捕まえて身体の皮を剥いでしまいました。

そうして泣いていた兎のところに、大国主の兄たちが現れました。
兄たちは『海水を浴びて、伏せておきなさい。』と教えてくれたので、その通りにしたところ傷が酷くなってしまったのです。
経緯を聞いた大国主は「今すぐ川へ行き、水で体を洗っておいで。そして近くに生えている蒲の穂を採って敷き、その上を転がって花粉を付ければ、必ず身体が元の様に戻って癒えるよ。」と言いました。
兎は言われたとおりにすると、すっかりと身体は回復しました。
これが今は兎神といわれている因幡の白兎なのです。

兎は大国主に「兄神たちは八上比売とは結婚できません。袋を背負って従者扱いされていても、あなたが八上比売と結婚するでしょう。」と予言します。
兎の言う通り、八上比売は「あなたたちの言うことは聞きません。私は大国主様と結婚いたします。」と大国主を選ぶのでした。

「他人を騙すと罰を受けてしまう」という教訓と「困っている人を助けると良いことがある」という教訓を知る物語ですね。
「因幡の白兎」で求婚が成功するという話をきっかけに、兎は縁結びの神として信仰されている地域もあります。

 

月の兎は健気で儚い

満月を眺めていると「月には兎が住んでいる」という話が思い浮かびます。
実際の月に兎は住んでいませんが、この伝承はどこから来たのでしょう。
日本の文芸で月の兎の話が出てくるのは、平安時代の末期に仏教説話を中心にまとめられた『今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)』です。
その中の巻第五、第十三話の「三獣行菩薩道兎焼身語(さんじゅうぼさつのみちをおこない、うさぎみをやくものがたり)」に記されています。

昔、天竺(今のインド)に兎・狐・猿の三匹の獣がいました。
「私たちは前世で生物を哀れむことをせず、財産を惜しんで他人に施さなかったので、地獄に堕ちて罰を受けたが、それでも罪が消えなかったので、こうして卑しい獣として生まれたのだ。これからは身を捨てる覚悟で善行を行おう。」と決めていました。
三匹は熱心に仏教の修行をし、互いに親や兄弟の様に慕い合い、自分よりも他の物を優先して生きていました。

仏教の守護神である「帝釈天(たいしゃくてん)」は、三匹の様子を見て大変感心しました。
「彼らは獣なのに大変殊勝な心掛けだ。人間ですら無益な殺生や他人の財産を奪う。自分の父母を殺したり、兄弟で敵視し合ったりもする。顔で笑いながらも悪意を抱き、慕うような素振りを見せながら憎んでいたりと酷い有様だ。なのに、こんな獣が本当に仏の心を抱いているとは信じられない。一つ試してみることにしよう。」
そう考えて、帝釈天は老人へと姿を変えて三匹の前に現れました。

「わしは疲れ果てた老いぼれじゃ。子供もおらぬし、貧しくて食事もできない。そなたたちは哀れみの心が深いと聞いた。どうかこのわしを養ってはくれないか。」と尋ねました。
すると三匹は「もちろん!すぐに養ってあげましょう。」と喜んで老人の申し出を受け入れました。

猿は木に登って果物を採り、里に出て野菜や穀物などを採ってきて、その中から老人が好きな食べ物を食べさせました。
狐は墓にある小屋に向かい、供え物の餅やご飯を集め、川から魚を獲ってきて老人に食べさせたので、すっかり老人は満腹になりました。
「お前たち二匹は本当に哀れみ深い。既に菩薩であると言っても過言ではない。」と言いました。
その言葉を聞いた兎は自分を奮い立たせ、灯をともして香を取りました。
耳を高く腰を低くして、目を大きく開いて前足を踏ん張り、お尻の穴を広げた格好で東西南北を探し回りましたが、食べ物は見つかりませんでした。
そんな兎を見て猿や狐、そして老人までもが兎を馬鹿にしたり、からかって笑ったり、励ましたりしましたが、それでも兎は食べ物を見つけることができませんでした。

「老人を養うために食べ物を探したが、野山はとても危険で恐ろしい。このままだと人間に殺されたり、他の獣に襲われて死んでしまうだろう。それならば、この身を捨てて老人に食われて、生を終わらせることにしよう」と考えました。

そして兎は老人の元に行き「私がこれから美味しいものを持ってくるので、木を拾って焚き火を準備しておいてください。」と言いました。
猿が木を拾い、狐がこれに火をつけて、兎を期待して待っていると、兎は手ぶらで帰ってきました。
猿と狐はその姿を見て「君は何かを持って来ると言ったが、何も持っていないじゃないか。嘘をついて僕らを騙し、木を拾わせて火を焚き、暖を取るつもりか。この憎たらしい奴め。」と言い放ちました。
しかし兎は「そう、私は食べ物を持って来ることができませんでした。なので、この身を焼いて食べてください。」と言って、火の中に飛び込み、焼け死んでしまいました。

帝釈天は元の姿に戻り、その立派な行いを全ての生き物に見せるために、兎が焼け死んだ姿を月に移しました。
今でも月の表面に雲のようなものが見えるのは、兎の焼け死んだときの煙であり、月にいるといわれるのはこの兎なのです。
全ての人間は、月を見るたびにこの兎の行動を思い出すべきなのです。

月の兎伝承は、兎の悲しくも優しい立派な行いの表れなのです。
「自分の身を挺して他者を救おうとする志」は、尊いものですね。

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逆に人々を困らせた兎だっている

新潟県の『弥彦村(やひこむら)』では、少し困った兎たちが登場する伝承があります。

昔、神が祀られていた弥彦山には、沢山の兎が住んでいました。
しかし兎たちは、毎日里に下りてきては田畑を荒らすので、農民たちはほとほと困り果てていました。

農民たちの苦しみを聞いた彌彦大神やひこおおかみ様は早速、弥彦山の兎たちを全員集めました。
そして「農民たちの大切な田畑を荒らすことのないように。」と諭しました。
兎たちはすっかり恐れ入り、もう絶対に里に下りていたずらはしないと誓い、それ以降田畑の被害は無くなりました。

農民たちは彌彦大神様の御神徳に大変感謝しました。
そして、彌彦大神様の前でお諭しを聞いていた兎たちが、かしこまって丸くなっている姿を米の粉で形づくってお菓子を作り、彌彦大神様に献上しました。
彌彦大神様はこのお菓子を大変喜び「良幸餅(うさちもち)」と名付けました。

今では『玉兎(たまうさぎ)』という名前に変わり、地元の名産品になっています。
怒られて丸くなっている姿を想像すると、少し可愛らしいですね。

 

日本には昔から野ウサギが住んでいたので、神話や伝承に多く登場します。
しかし現在のように家畜化されていないので、神秘的な存在と考えられることが多く、神様の使いとされることも多かったようです。
お話しによって、良いことをしたり悪いことをしたりと、色んな表情が見られるのは楽しいですね。
今後も色々な動物の登場する神話や伝承をご紹介できればと思います。

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