文学作品に身を委ねて~エドガー・アラン・ポー『黒猫』~

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マンハッタナーズ可動式

読書を楽しむ時間というのは、とても贅沢な時間です。
字を追いながら感情や情景を読み取り、他の人に邪魔されずに自分の想像力に浸っていられるのですから。
しかし、長編小説だと読み終わるまでに長い時間が必要になるので、ちょっと楽しむには向いていません。
そんなときは短編小説を楽しんでみませんか。
3回目となる今回は、海外の小説家エドガー・アラン・ポーの『黒猫』をご紹介します。

 

推理小説の父、エドガー・アラン・ポー

海外にも多くの著名人がいますが、推理小説を語るうえで欠かせないのが、アメリカの小説家『エドガー・アラン・ポー』です。
彼が執筆した『モルグ街の殺人(もるぐがいのさつじん)』は、世界で初めて書かれた推理小説といわれています。
不可解な事件が発生し、それが解決されるまでの道筋を辿るという流れで、事件を推理する役割の名探偵を置くという原型にもなった作品です。

彼は推理小説以外にも幻想的な世界からゾクリとする恐怖感を与えてくれる「ゴシック小説」の『アッシャー家の崩壊(あっしゃーけのほうかい)』も有名です。
主人公が財宝を手に入れるまでを描いた『黄金虫(おうごんちゅう)』は、冒険の小説でありながら作中に暗号が登場し、一種の推理小説の面も持ち合わせています。
後世の作家たちに大きな影響を与えており、日本の小説家『江戸川乱歩(えどがわらんぽ)』は、ペンネームを名前からもじったとして有名です。

今回紹介する『黒猫(くろねこ)』は、ゴシック風のホラー短編小説です。
動物好きな語り手が酒乱によって過ちを犯し、追い詰められていく姿がじわじわと恐怖を与えてくれる作品です。
恐ろしいのに結末が気になって仕方がなくなる、そんな好奇心をくすぐられる物語に浸っていきましょう。

 

マンハッタナーズ可動式

 


THE BLACK CAT
Edgar Allan Poe

黒猫
エドガー・アラン・ポー
佐々木直次郎訳

 

 わたしがこれからこうとしているきわめて奇怪きかいな、またきわめて素朴そぼく物語ものがたりについては、自分じぶんはそれをしんじてもらえるともおもわないし、そうねがいもしない。自分じぶん感覚かんかくでさえが自分じぶん経験けいけんしたことをしんじないような場合ばあいに、他人たにんしんじてもらおうなどと期待きたいするのは、ほんとに正気しょうき沙汰さたとはえないとおもう。だが、わたし正気しょうきうしなっているわけではなく、――またけっしてゆめみているのでもない。しかしあすわたしぬべきだ。で、今日きょうのうちに自分じぶんたましい重荷おもにをおろしておきたいのだ。わたし第一だいいち目的もくてきは、一連いちれんたんなる家庭かてい出来事できごとを、はっきりと、簡潔かんけつに、注釈ちゅうしゃくぬきで、人々ひとびとしめすことである。それらの出来事できごとは、その結果けっかとして、わたしおそれさせ――くるしめ――そして破滅はめつさせた。だがわたしはそれをくどくどと説明せつめいしようとはおもわない。わたしにはそれはただもう恐怖きょうふだけをかんじさせた。――おおくの人々ひとびとにはおそろしいというよりも怪奇バロックなものにえるであろう。今後こんご、あるいは、だれ知者ちしゃがあらわれてきて、わたし幻想げんそうたんなる平凡へいぼんなことにしてしまうかもしれぬ。――だれわたしなどよりももっと冷静れいせいな、もっと論理的りろんてきな、もっとずっと興奮こうふんしやすくない知性人ちせいじんが、わたし畏怖いふをもってべることがらのなかに、ごく自然しぜん原因げんいん結果けっか普通ふつう連続れんぞく以上いじょうのものをみとめないようになるであろう。

 子供こどものころからわたしはおとなしくてなさけぶかい性質せいしつられていた。わたしこころやさしさは仲間なかまたちにからかわれるくらいにきわだっていた。とりわけ動物どうぶつきで、両親りょうしんもさまざまなきものをわたしおもいどおりにってくれた。わたしはたいていそれらのきものを相手あいてにしてときすごし、それらに食物しょくもつをやったり、それらを愛撫あいぶしたりするときほどたのしいことはなかった。この特質とくしつ成長せいちょうするとともにだんだんつよくなり、大人おとなになってからは自分じぶんおもたのしみの源泉げんせんの一つとなったのであった。忠実ちゅうじつ利口りこういぬをかわいがったことのあるひとには、そのような愉快ゆかいさの性質せいしつつよさをわざわざ説明せつめいする必要ひつようはほとんどない。動物どうぶつ非利己的ひりこてき自己犠牲的じこぎせいてきあいのなかには、たんなる人間、、のさもしい友情ゆうじょううすっぺらな信義しんぎをしばしばめたことのあるひとこころをじかにつなにものかがある。
 わたしわかいころ結婚けっこんしたが、さいわいなことにつまわたししょう気質きしつだった。わたし家庭的かていてききものをきなのにがつくと、彼女かのじょはおりさえあればとても気持きもちのいい種類しゅるいきものをれた。わたしたちは鳥類ちょうるいや、金魚きんぎょや、一匹いっぴき立派りっぱいぬや、うさぎや、一匹いっぴき小猿こざるや、一匹の猫、、、、などをった。
 この最後さいごのものは非常ひじょうおおきなうつくしい動物どうぶつで、からだじゅうくろく、おどろくほどに利口りこうだった。このねこ知恵ちえのあることをはなすときには、こころではかなり迷信めいしんにかぶれていたつまは、黒猫くろねこというものがみんな魔女まじょ姿すがたえたものだという、あのむかしからの世間せけんいつたえを、よくくちにしたものだった。もっとも、彼女かのじょだっていつでもこんなことを本気で、、、かんがえていたというのではなく、――わたしがこのことがらをべるのはただ、ちょうどいまふとおもしたからにすぎない。
 プルートォ――というのがそのねこであった――はわたしりであり、あそ仲間なかまであった。食物しょくもつをやるのはいつもわたしだけだったし、かれいえじゅうわたしくところへどこへでも一緒いっしょた。往来おうらいへまでついてないようにするのには、かなりほねれるくらいであった。
 わたしねことのしたしみはこんなぐあいにして数年間すうねんかんつづいたが、そのあいだにわたし気質きしつ性格せいかく一般いっぱんに――酒癖さけぐせという悪鬼あっきのために――急激きゅうげきわるいほうへ(白状はくじょうするのもずかしいが)かわってしまった。わたし一日いちにち一日いちにちむずかしくなり、癇癪かんしゃくもちになり、他人たにん感情かんじょうなどちっともかまわなくなってしまった。つまたいしては乱暴らんぼう言葉ことば使つかうようになった。しまいには彼女かのじょからだげるまでになった。っていたきものも、もちろん、そのわたし性質せいしつ変化へんかかんじさせられた。わたしかれらをかまわなくなっただけではなく、虐待ぎゃくたいした。けれども、うさぎや、さるや、あるいはいぬでさえも、なにげなく、またはわたししたって、そばへやってると、遠慮えんりょなしにいじめてやったものだったのだが、プルートォをいじめないでおくだけのこころづかいはまだあった。しかしわたし病気びょうきはつのってきて――ああ、アルコールのようなおそろしい病気びょうきほかにあろうか! ――ついにはプルートォでさえ――いまではとしをとって、したがっていくらかおこりっぽくなっているプルートォでさえ、わたし不機嫌ふきげんのとばっちりをうけるようになった。

 あるよるまちのそちこちにある自分じぶんきつけの酒場さかばひとつからひどくっぱらってかえってると、そのねこがなんだかわたしまえけたようながした。わたしかれをひっとらえた。そのときかれわたし手荒てあらさにびっくりして、わたしにちょっとしたきずをつけた。と、たちまち悪魔あくまのような憤怒ふんぬわたしにのりうつった。わたしわれわすれてしまった。生来せいらいのやさしいたましいはすぐにわたしからだからったようであった。そしてジンしゅにおだてられた悪鬼あっき以上いじょう憎悪ぞうおからだのあらゆる筋肉きんにくをぶるぶるふるわせた。わたしはチョッキのポケットからペンナイフをし、それをひらき、そのかわいそうな動物どうぶつ咽喉のどをつかむと、悠々ゆうゆうとその眼窩がんかから片眼かためをえぐりった。このにくむべき凶行きょうこうをしるしながら、わたしおもてをあからめ、からだがほてり、ぶるいする。
 あさになって理性りせいもどってきたとき――一晩ひとばんねむって前夜ぜんや乱行らんぎょう毒気どくけえてしまったとき――自分じぶんおかしたつみにたいしてなかば恐怖きょうふの、なかば悔恨かいこんじょうかんじた。が、それもせいぜいよわ曖昧あいまい感情かんじょうで、こころまでうごかされはしなかった。わたしはふたたび無節制むせっせいになって、もなくその行為こういのすべての記憶きおくさけにまぎらしてしまった。
 そのうちにねこはいくらかずつ回復かいふくしてきた。のなくなった眼窩がんかはいかにもおそろしい様子ようすをしてはいたが、もういたみはすこしもないようだった。かれはもとどおりにいえのなかをあるきまわっていたけれども、あたりまえのことであろうがわたしちかづくとひどくおそろしがってげてくのだった。わたしは、まえにあんなに自分じぶんしたっていた動物どうぶつがこんなにあきらかに自分じぶんきらうようになったことを、はじめはかなしくおもうくらいに、むかしこころのこっていた。しかしこの感情かんじょうもやがて癇癪かんしゃくかわっていった。それから、まるでわたし最後さいごりかえしのつかない破滅はめつおちいらせるためのように、天邪鬼、、、心持こころもちがやってきた。この心持こころもち哲学てつがくすこしもみとめてはいない。けれども、わたしは、自分じぶんたましいきているということとおなじくらいに、天邪鬼あまのじゃく人間にんげんこころ原始的げんしてき衝動しょうどうひとつ――ひと性格せいかく命令めいれいする、わかつことのできない本源的ほんげんてき性能せいのうもしくは感情かんじょうひとつ――であるということを確信かくしんしている。してはいけない、、、、という、ただそれだけの理由りゆうで、自分じぶん邪悪じゃあくな、あるいはおろかな行為こういをしていることに、ひとはどんなにかしばしばづいたことであろう。ひとは、を、たんにそれがおきてであるとっているだけのために、その最善さいぜん判断はんだんさからってまでも、そのおきてやぶろうとする永続的えいぞくてき性向せいこうを、っていはしないだろうか? この天邪鬼あまのじゃく心持こころもちがいまったように、わたし最後さいご破滅はめつたしたのであった。なんのつみもない動物どうぶつたいして自分じぶんくわえた傷害しょうがいをなおもつづけさせ、とうとう仕遂しとげさせるようにわたしをせっついたのは、たましい自らを苦しめようとする、、、、、、、、、、、――それ自身じしん本性ほんしょう暴虐ぼうぎゃくくわえようとする――あくのためにのみあくをしようとする、この不可解ふかかい切望せつぼうであったのだ。あるあさ冷然れいぜんと、わたしねこくび輪索わなわをはめて、一本いっぽんえだにつるした。――からなみだながしながら、こころ痛切つうせつ悔恨かいこんかんじながら、つるした。――そのねこわたししたっていたということをっていればこそ、、ねこわたしおこらせるようなことはなにひとつしなかったということをかんじていればこそ、、、つるしたのだ。――そうすれば自分じぶんつみおかすのだ、――自分じぶん不滅ふめつたましいをいとも慈悲じひぶかく、いともおそるべきかみ無限むげん慈悲じひおよばない彼方かなたく――もしそういうことがありうるなら――ほどにもあやうくするような極悪罪ごくあくざいおかすのだ、ということをっていればこそ、、、つるしたのだった。
 この残酷ざんこく行為こういをやったばんわたし火事かじだというさけごえねむりからまされた。わたし寝台しんだいのカーテンにがついていた。家全体いえぜんたいがっていた。つまと、召使めしつかいと、私自身わたしじしんとは、やっとのことでその火災かさいからのがれた。なにもかもけてしまった。わたし全財産ぜんざいさんはなくなり、それ以来いらいわたし絶望ぜつぼうをまかせてしまった。
 この災難さいなんとあの凶行きょうこうとのあいだに因果関係いんがかんけいをつけようとするほど、わたしこころよわものではない。しかしわたし事実じじつのつながりをくわしくべているのであって、――ひとつのかんでも不完全ふかんぜんにしておきたくないのである。火事かじのつぎのわたし焼跡やけあとってみた。かべは、一カ所いっかしょだけをのぞいて、みんなちていた。この一カ所いっかしょというのは、いえなかあたりにある、わたし寝台しんだい頭板あたまいたむかっていた、あまりあつくない仕切壁しきりかべのところであった。ここの漆喰しっくいだけはだいたいちからえていたが、――この事実じじつわたし最近さいきんそこをえたからだろうとおもった。このかべのまわりにくろひとがたかっていて、おおくの人々ひとびとがその一部分いちぶぶん綿密めんみつ熱心ねっしん注意ちゅういをもって調しらべているようだった。「みょうだな!」「不思議ふしぎだね?」という言葉ことばや、そのそれにたような文句もんくが、わたし好奇心こうきしんをそそった。ちかづいてみると、そのしろ表面ひょうめん薄肉彫うすにくぼりにったかのように、巨大きょだい姿すがたえた。そのあとはまったくおどろくほど正確せいかくにあらわれていた。その動物どうぶつくびのまわりにはなわがあった。
 最初さいしょこの妖怪ようかい――というのはわたしにはそれ以外いがいのものとはおもえなかったからだが――をたとき、わたし驚愕きょうがく恐怖きょうふとは非常ひじょうなものだった。しかしあれこれとかんがえてみてやっとやすまった。ねこいえにつづいているにわにつるしてあったことをわたしおもした。火事かじ警報けいほうつたわると、このにわはすぐに大勢おおぜいひとでいっぱいになり、――そのなかのだれかがねこからりはなして、ひらいていたまどからわたし部屋へやのなかへげこんだものにちがいない。これはきっとわたしているのをおこすためにやったものだろう。そこへほかかべちかかって、わたし残虐ざんぎゃく犠牲者ぎせいしゃを、そのりたての漆喰しっくいかべのなかへしつけ、そうして、その漆喰しっくい石灰せっかいと、火炎かえんと、死骸しがいからたアンモニアとで、自分じぶんたようなぞうができあがったのだ。
 いまべたおどろくべき事実じじつを、自分じぶん良心りょうしんにたいしてはぜんぜんできなかったとしても、理性りせいにたいしてはこんなにたやすく説明せつめいしたのであるが、それでも、それがわたし想像そうぞうふか印象いんしょうあたえたことにかわりはなかった。幾月いくつきものあいだわたしはそのねこ幻像げんぞうはらいのけることができなかった。そしてそのあいだ、悔恨かいこんているがそうではないある漠然ばくぜんとした感情かんじょうが、わたしこころのなかへもどってきた。わたしねこのいなくなったことをくやむようにさえなり、そのころきつけの悪所あくしょでそれのかわりになるおな種類しゅるいの、またいくらかたような毛並けなみのものがいないかと自分じぶんのまわりをさがすようにもなった。

 あるよる、ごくたちのわる酒場さかばに、なかば茫然ぼうぜんとしてこしかけていると、その部屋へやおも家具かぐをになっているジンしゅかラムしゅ大樽おおだるうえに、なんだかくろものがじっとしているのに、とつぜん注意ちゅういをひかれた。わたしはそれまで数分間すうふんかんその大樽おおだるのてっぺんのところをじっとていたので、いまわたしおどろかせたことは、自分じぶんがもっとはやくそのものがつかなかったという事実じじつなのであった。わたしちかづいてって、それにれてみた。それは一匹いっぴき黒猫くろねこ――非常ひじょうおおきなねこ――で、プルートォくらいのおおきさは十分じゅうぶんあり、ひとつのてんをのぞいて、あらゆるてんかれにとてもよくていた。プルートォはからだのどこにもしろ一本いっぽんもなかったが、このねこは、むねのところがほとんど一面いちめんに、ぼんやりしたかたちではあるが、おおきな、しろ斑点はんてんおおわれているのだ。
 わたしがさわると、そのねこはすぐにがり、さかんにごろごろ咽喉のどらし、わたしからだをすりつけ、わたしをつけてやったのをよろこんでいるようだった。これこそわたしさがしているねこだった。わたしはすぐにそこの主人しゅじんにそれをいたいとした。が主人しゅじんはそのねこ自分じぶんのものだとはわず、――ちっともらないし――いままでにたこともないとうのだった。
 わたし愛撫あいぶをつづけていたが、いえかえりかけようとすると、その動物どうぶつはついてたいような様子ようすせた。で、ついてるままにさせ、あるいて途中とちゅうでおりおりかがんでかるたたいてやった。いえくと、すぐについてしまい、すぐつま非常ひじょうなおりになった。
 わたしはというと、もなくそのねこたいする嫌悪けんおじょうこころのなかにおこるのにがついた。これは自分じぶん予想よそうしていたこととは正反対せいはんたいであった。しかし――どうしてだか、またなぜだかはらないが――ねこがはっきりわたしいていることがわたしをかえっていやがらせ、うるさがらせた。だんだんに、このいやでうるさいという感情かんじょうこうじてはげしいにくしみになっていった。わたしはその動物どうぶつけた。ある慚愧ざんきねんと、以前いぜん残酷ざんこく行為こうい記憶きおくとが、わたしにそれを肉体的にくたいてき虐待ぎゃくたいしないようにさせたのだ。数週すうしゅうあいだわたしつとか、その手荒てあらなことはしなかった。がしだいしだいに――ごくゆっくりと――いようのない嫌悪けんおじょうをもってそのねこるようになり、悪疫あくえき息吹いぶきからげるように、そのむべき存在そんざいから無言むごんのままですようになった。
 うたがいもなく、その動物どうぶつたいするわたしにくしみをしたのは、それをいえれてきた翌朝よくあさ、それにもプルートォのように片眼かためがないということを発見はっけんしたことであった。けれども、このことがらのためにそれはますますつまにかわいがられるだけであった。つまは、以前いぜんわたしのりっぱな特徴とくちょうであり、またおおくのもっとも単純たんじゅんな、もっとも純粋じゅんすい快楽かいらくみなもとであったあの慈悲じひぶかい気持きもちを、まえにもったように、多分たぶんっていたのだ。
 しかし、わたしがこのねこきらえばきらうほど、ねこのほうはいよいよわたしくようになってくるようだった。わたしのあとをつけまわり、そのしつこさは読者どくしゃ理解りかいしてもらうのが困難こんなんなくらいであった。わたしこしかけているときにはいつでも、椅子いすしたにうずくまったり、あるいはひざうえがって、しきりにどこへでもいまいましくじゃれついたりした。がってあるこうとすると、両足りょうあしのあいだへはいって、わたしたおしそうにしたり、あるいはそのながするどつめわたし着物きものにひっかけて、むねのところまでよじのぼったりする。そんなときには、なぐころしてしまいたかったけれども、そうすることをひかえたのは、いくらか自分じぶん以前いぜん罪悪ざいあくおもすためであったが、しゅとしては――あっさり白状はくじょうしてしまえば――その動物どうぶつがほんとうに怖かった、、、、ためであった。
 このこわさは肉体的にくたいてき災害さいがいこわさとはすこちがっていた、――が、それでもそのほかにそれをなんと説明せつめいしてよいかわたしにはわからない。わたし告白こくはくするのがずかしいくらいだが――そうだ、この重罪人じゅうざいにん監房かんぼうのなかにあってさえも、告白こくはくするのがずかしいくらいだが――その動物どうぶつわたしこころおこさせた恐怖きょうふねんは、じつにくだらないひとつの妄想もうそうのためにつよめられていたのであった。そのねこまえころしたねことの唯一ゆいいつえるちがいといえば、さっきはなしたあのしろ斑点はんてんなのだが、つまはその斑点はんてんのことで何度なんどわたし注意ちゅういしていた。この斑点はんてんは、おおきくはあったが、もとはたいへんぼんやりしたかたちであったということを、読者どくしゃ記憶きおくせられるであろう。ところが、だんだんに――ほとんどにつかないほどにゆっくりと、そして、ながいあいだわたし理性りせいはそれをまよいだとして否定ひていしようとあせっていたのだが――それが、とうとう、まったくきっぱりした輪郭りんかくとなった。それはいまやわたしうもぶるいするようなもの格好かっこうになった。――そして、とりわけこのために、わたしはその怪物かいぶつきらい、おそれ、できるなら思いきって、、、、、、、、、、やっつけてしまいたいとおもったのであるが、――それはいまや、おそろしい――ものすごものの――絞首台、、、の――かたちになったのだ! ――おお、恐怖きょうふ罪悪ざいあくとの――苦悶くもんとのいたましいおそろしい刑具けいぐかたちになったのだ!
 そしていまこそわたしじつたんなる人間にんげんみじめさ以上いじょうみじめであった。一匹の畜生が、、、、、、――その仲間なかまやつわたし傲然ごうぜんころしてやったのだ――一匹の畜生が私に、、、、、、、、――いとたかかみかたちかたどってつくられた人間にんげんであるわたしに――かくもおおくのえがたい苦痛くつうあたえるとは! ああ! ひるよるわたしはもう安息あんそく恩恵おんけいというものをらなくなった! 昼間ひるまはかの動物どうぶつがちょっともわたし一人ひとりにしておかなかった。よるには、わたしいようもなくおそろしいゆめから毎時間まいじかんぎょっとして目覚めざめると、そいつ、、、あついき自分じぶんかおにかかり、そのどっしりしたおもさが――わたしにははらおとちからのない悪魔あくま化身けしんが――いつもいつもわたし心臓、、うえしかかっているのだった!
 こういった呵責かしゃくしつけられて、わたしのうちにすこしばかりのこっていたぜん敗北はいぼくしてしまった。邪悪じゃあくかんがえがわたし唯一ゆいいつともとなった、――もっとも暗黒あんこくな、もっとも邪悪じゃあくかんがえが。わたしのいつものむずかしい気質きしつはますますつのって、あらゆるものやあらゆるひとにくむようになった。そして、いまでは幾度いくどもとつぜんにおこるおさえられぬ激怒げきど発作ほっさ盲目的もうもくてきをまかせたのだが、なんの苦情くじょうわないわたしつまは、ああ! それをだれよりもいつもひどくけながら、辛抱しんぼうづよく我慢がまんしたのだった。

 あるつまはなにかのいえ用事ようじで、貧乏びんぼうのためにわたしたちが仕方しかたなくんでいたふる穴蔵あなぐらのなかへ、わたし一緒いっしょりてきた。ねこもそのきゅう階段かいだんわたしのあとへついてりてきたが、もうすこしのことでわたしさかさまにおとそうとしたので、わたしはかっと激怒げきどした。いかりのあまり、これまで自分じぶんめていたあの子供こどもらしいこわさもわすれて、おのげ、その動物どうぶつをめがけて一撃いちげきろそうとした。それを自分じぶんおもったとおりにろしたなら、もちろん、ねこ即座そくざんでしまったろう。が、その一撃いちげきつまでさえぎられた。この邪魔じゃまてに悪鬼あっき以上いじょう憤怒ふんぬられて、わたしつまにつかまれているうでをひきはなし、おの彼女かのじょ脳天のうてんちこんだ。彼女かのじょうめごえもたてずに、そのたおれてんでしまった。
 このおそろしい殺人さつじんをやってしまうと、わたしはすぐに、きわめて慎重しんちょうに、死体したいかく仕事しごとりかかった。ひるでもよるでも、近所きんじょ人々ひとびとにとまるおそれなしには、それをいえからはこることができないということは、わたしにはわかっていた。いろいろの計画けいかくこころうかんだ。あるときは死骸しがいこまかくっていてしまおうとかんがえた。またあるときには穴蔵あなぐらゆかにそれをめるあなろうと決心けっしんした。さらにまた、にわ井戸いどのなかへげこもうかとも――商品しょうひんのようにはこのなかへれて普通ふつうやるように荷造にづくりして、運搬人うんぱんにんいえからさせようかとも、かんがえてみた。最後さいごに、これらのどれよりもずっといいとおもわれる工夫くふうかんがえついた。中世紀ちゅうせいき僧侶そうりょたちがかれらの犠牲者ぎせいしゃかべりこんだとつたえられているように――それを穴蔵あなぐらかべりこむことにめたのだ。
 そういった目的もくてきにはその穴蔵あなぐらはたいへんてきしていた。そこのかべはぞんざいにできていたし、ちかごろあら漆喰しっくい一面いちめんられたばかりで、空気くうき湿しめっているためにその漆喰しっくいかたまっていないのだった。そのうえに、一方いっぽうかべには、穴蔵あなぐらほかのところとおなじようにしてある、せかけだけの煙突えんとつ暖炉だんろのためにできた、一カ所いっかしょがあった。ここの煉瓦れんがりのけて、死骸しがいしこみ、だれにもなにひとあやしいことのつからないように、まえのとおりにすっかりかべつぶすことは、造作ぞうさなくできるにちがいない、とわたしおもった。
 そしてこの予想よそうははずれなかった。鉄梃かなてこ使つかってわたしはたやすく煉瓦れんがうごかし、内側うちがわかべ死体したい注意ちゅういぶかせかけると、その位置いちささえておきながら、たいしたもなく全体ぜんたいをもとのとおりになおした。できるかぎりの用心ようじんをして膠泥モルタルと、すなと、毛髪もうはつとをれると、まえのと区別くべつのつけられない漆喰しっくいをこしらえ、それであたらしい煉瓦れんが細工ざいくうえをとてもねんりにった。仕上しあげてしまうと、万事ばんじがうまくいったのに満足まんぞくした。かべにはくわえたような様子ようすすこしもえなかった。ゆかうえくずはごく注意ちゅういしてひろげた。わたし得意とくいになってあたりをまわして、こう独言ひとりごとった。――「さあ、これですくなくとも今度こんどだけはおれ骨折ほねおりも無駄むだじゃなかったぞ」
 つぎわたしのやることは、かくまでの不幸ふこう原因げんいんであったあのけものさがすことであった。とうとうわたしはそれをころしてやろうとかた決心けっしんしていたからである。そのときそいつに出会であうことができたなら、そいつのいのちはないにきまっていた。が、そのずるい動物どうぶつわたしのさっきのいかりのはげしさにびっくりしたらしく、わたしがいまの気分きぶんでいるところへは姿すがたせるのをひかえているようであった。そのいやでたまらないきものがいなくなったためにわたしむねしょうじた、ふかい、このうえなく幸福こうふくな、安堵あんどかんじは、記述きじゅつすることも、想像そうぞうすることもできないくらいである。ねこはそのよるじゅう姿すがたをあらわさなかった。――で、そのために、あのねこいえれてきて以来いらいすくなくとも一晩ひとばんだけは、わたしはぐっすりとやすらかにねむった。そうだ、たましい人殺ひとごろしの重荷おもにいながらも眠った、、、のだ!

 二日目ふつかめ三日目みっかめぎたが、それでもまだわたし呵責者かしゃくしゃてこなかった。もう一度いちどわたし自由じゆう人間にんげんとして呼吸こきゅうした。あの怪物かいぶつ永久えいきゅうにこの屋内おくないからってしまったのだ! わたしはもうあいつをることはないのだ! わたし幸福こうふくはこのうえもなかった! 自分じぶん凶行きょうこうつみはほとんどわたし不安ふあんにさせなかった。さん訊問じんもんけたが、それには造作ぞうさなくこたえた。家宅捜索かたくそうさくさえ一度いちどおこなわれた、――が無論むろんなにも発見はっけんされるはずがなかった。わたし自分じぶん未来みらい幸運こううん確実かくじつだとおもった。
 殺人さつじんをしてから四日目よっかめに、まったくおもいがけなく、一隊いったい警官けいかんいえへやってて、ふたたび屋内おくない厳重げんじゅう調しらべにかかった。けれども、自分じぶん隠匿いんとく場所ばしょはわかるはずがないとおもって、わたしはちっともどぎまぎしなかった。警官けいかんわたしかれらの捜索そうさくについていとめいじた。かれらはすみずみまでものこるくまなくさがした。とうとう、三度目さんどめ四度目よんどめ穴蔵あなぐらりてった。わたしからだすじひとうごかさなかった。わたし心臓しんぞうつみもなくてねむっているひと心臓しんぞうのようにおだやかに鼓動こどうしていた。わたし穴蔵あなぐらはしからはしへとあるいた。うでむねうえみ、あちこち悠々ゆうゆうあるきまわった。警官けいかんはすっかり満足まんぞくして、げようとした。わたしこころ歓喜かんきおさえきれないくらいつよかった。わたしは、凱歌がいかのつもりでたった一言ひとことでもってやり、また自分じぶん潔白けっぱくかれらにたしかなうえにもたしかにしてやりたくてたまらなかった。
 みなさん」と、とうとうわたしは、一行いっこう階投かいだんをのぼりかけたときに、った。「おうたがいがれたことをわたしはうれしくおもいます。みなさんがたのご健康けんこういのり、それからもすこ礼儀れいぎおもんぜられんことをのぞみます。ときに、みなさん、これは――これはなかなかよくできているいえですぜ」〔なにかをすらすらいたいはげしい欲望よくぼうかんじて、わたし自分じぶんくちにしていることがほとんどわからなかった〕――「すてきに、、、、よくできているいえだとっていいでしょうな。このかべは――おかえりですか? みなさん――このかべはがんじょうにこしらえてありますよ」そうって、ただ気違きちがいじみた空威張からいばりから、にしたつえで、ちょうど愛妻あいさい死骸しがい内側うちがわっている部分ぶぶん煉瓦れんが細工ざいくを、つよくたたいた。
 だが、かみよ、魔王まおうきばよりわたしまもりまたすくいたまえ! わたしったおと反響はんきょうしずまるかしずまらぬかに、そのはかのなかからひとつのこえわたしこたえたのであった! ――はじめは、子供こどもすすきのように、なにかでつつまれたような、きれぎれなさけごえであったが、それからきゅうたかまって、まったく異様いような、人間にんげんのものではない、ひとつのながい、たかい、連続れんぞくした金切声かなきりごえとなり、――地獄じごくちてもだえくるしむものと、地獄じごくとしてよろこ悪魔あくまとの咽喉のどから一緒いっしょになって、ただ地獄じごくからだけきこえてくるものとおもわれるような、なかば恐怖きょうふの、なかば勝利しょうりの、号泣ごうきゅう――慟哭どうこくするような悲鳴ひめい――となった。

 私自身わたしじしん気持きもちかたるもおろかである。とおくなって、わたし反対はんたいがわかべへとよろめいた。一瞬間いっしゅんかん階段かいだんうえにいた一行いっこうは、極度きょくど恐怖きょうふ畏懼いくとのために、じっとどまった。つぎ瞬間しゅんかんには、幾本いくほんかのたくましいうでかべをせっせとくずしていた。かべはそっくりちた。もうひどく腐爛ふらんして血魂けっかいかたまりついている死骸しがいが、そこにいた人々ひとびと眼前がんぜんにすっくとった。そのあたまうえに、あかくちおおきくあけ、爛々らんらんたる片眼かためひからせて、あのいまわしいけものすわっていた。そいつの奸策かんさくわたしをおびきこんで人殺ひとごろしをさせ、そいつのたてたこえわたし絞刑吏こうけいり引渡ひきわたしたのだ。その怪物かいぶつわたしはそのはかのなかへりこめておいたのだった!


身勝手な主人公で自業自得とも言えますが、ほんの少し持っていた罪悪感から徐々に精神が狂っていく様は見ていて不気味です。
主人公の独白スタイルであることも、本人が体験した感覚がこちらに伝わってくるようで、恐怖感がありますね。
次回も短編で読みやすい作品を紹介できればと思います。

引用元:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/index.html)
底本:「黒猫・黄金虫」新潮文庫、新潮社
1951(昭和26)年8月15日発行
1995(平成7)年10月15日89刷改版
1997(平成9)年第93刷
入力:大野晋
校正:宮崎直彦
1999年2月4日公開
2014年2月24日修正

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