文学作品に身を委ねて~芥川龍之介『藪の中』~

メロディスムーズグランデ マンハッタナーズ モノトーン猫顔
マンハッタナーズステッキ折り畳み フェデリコの記憶

おでかけ中の公共交通機関の中や、次の予定まで少し時間が空いた時。
ゲームなどで暇を潰すのもいいですが、短編小説を楽しむのも一つの手です。
おおよそ30分以内で気軽に読めて、結末まで楽しめるのが嬉しいところです。
そして時間内にしっかりと納まるところに、作者の技術が光りますね。
本日は、短編小説から一つ、芥川龍之介の『藪の中』をご紹介します。

 

文豪・夏目漱石激推しの作家

今でも根強い人気がある日本の文豪の一人『芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)』
年に2回発表される有名な文学賞の『芥川賞(あくたがわしょう)』は、まさに作家の憧れの賞です。
芥川龍之介は主に短編小説を得意とし、作品の中には古典から構想を得たものも少なくありません。
作家として初期から注目されており、出世作でもある『鼻(はな)』は、彼が師として尊敬する『夏目漱石(なつめそうせき)』が絶賛したことで有名です。

数々の名作を発表した芥川龍之介ですが、その後段々と心身が衰え始め、最終的には35歳の若さで自殺をしてしまいます。
遺書に書かれていた「何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。」という言葉は有名です。
自殺に至る心の変化のためか、作風が初期と晩年で大きく変わっていると言われています。
初期作品は『羅生門(らしょうもん)』などの人間の内面を描く歴史ものが多く、晩年になると代表作の『河童(かっぱ)』のように人生や生死にかかわる作品が多くなります。

今回紹介する作品『藪の中(やぶのなか)』は、1922年に発表された晩年に差し掛かる頃の作品です。
平安時代を舞台とした王朝物の作品で、藪の中で起こった事件を軸に話が進みます。
4人の目撃者と3人の当事者の証言や告白が綴られていますが、どの内容もお互いに矛盾が発生しているのです。
結果的に真相は分からずじまいで、未解決である故の芸術性の高さから「真相は藪の中」というような言葉が生まれるまでに至ります。
皆さんはこの作品から、どのような結論を導きだしますか。

マンハッタナーズ可動式

 


藪の中
芥川龍之介

 

検非違使けびいしわれたる木樵きこり物語ものがたり

 さようでございます。あの死骸しがいつけたのは、わたしにちがいございません。わたしは今朝けさいつものとおり、裏山うらやますぎりにまいりました。すると山陰やまかげやぶなかに、あの死骸しがいがあったのでございます。あったところでございますか? それは山科やましな駅路えきろからは、四五町しごちょうほどへだたってりましょう。たけなかすぎまじった、人気ひとけのないところでございます。
 死骸しがいはなだ水干すいかんに、都風みやこふうのさび烏帽子えぼしをかぶったまま、仰向あおむけにたおれてりました。なにしろ一刀ひとかたなとはもうすものの、むなもとのきずでございますから、死骸しがいのまわりのたけ落葉おちばは、蘇芳すほうみたようでございます。いえ、はもうながれてはりません。傷口きずぐちかわいてったようでございます。おまけにそこには、馬蠅うまばえ一匹いっぴき、わたしの足音あしおときこえないように、べったりいついてりましたっけ。
 太刀たちなにかはえなかったか? いえ、なにもございません。ただそのそばすぎがたに、なわ一筋ひとすじちてりました。それから、――そうそう、なわのほかにもくしひとつございました。死骸しがいのまわりにあったものは、このふたつぎりでございます。が、くさたけ落葉おちばは、一面いちめんあらされてりましたから、きっとあのおとこころされるまえに、よほど手痛ていたはたらきでもいたしたのにちがいございません。なにうまはいなかったか? あそこは一体いったいうまなぞには、はいれないところでございます。なにしろうまかよみちとは、やぶひとへだたってりますから。

検非違使けびいしわれたる旅法師たびほうし物語ものがたり

 あの死骸しがいおとこには、たしかに昨日きのうってります。昨日きのうの、――さあ、午頃ひるごろでございましょう。場所ばしょ関山せきやまから山科やましなへ、まいろうと途中とちゅうでございます。あのおとこうまったおんないっしょに、関山せきやまほうあるいてまいりました。おんな牟子むしれてりましたから、かおはわたしにはわかりません。えたのはただ萩重はぎがさねらしい、きぬいろばかりでございます。うま月毛つきげの、――たし法師髪ほうしがみうまのようでございました。たけでございますか? たけ四寸よきもございましたか? ――なにしろ沙門しゃもんことでございますから、そのへんははっきりぞんじません。おとこは、――いえ、太刀たちびてれば、弓矢ゆみやたずさえてりました。ことくろえびらへ、二十にじゅうあまり征矢そやをさしたのは、ただいまでもはっきりおぼえてります。
 あのおとこがかようになろうとは、ゆめにもおもわずにりましたが、まこと人間にんげんいのちなぞは、如露亦如電にょろやくにょでんちがいございません。やれやれ、なんとももうしようのない、どくこといたしました。

検非違使けびいしわれたる放免ほうめん物語ものがたり

 わたしがからったおとこでございますか? これはたしかに多襄丸たじょうまるう、名高なだか盗人ぬすびとでございます。もっともわたしがからったときには、うまからちたのでございましょう、粟田口あわだぐち石橋いしばしうえに、うんうんうなってりました。時刻じこくでございますか? 時刻じこく昨夜さくや初更頃しょこうごろでございます。いつぞやわたしがとらそんじたときにも、やはりこのこん水干すいかんに、打出うちだしの太刀たちいてりました。ただいまはそのほかにも御覧ごらんとおり、弓矢ゆみやるいさえたずさえてります。さようでございますか? あの死骸しがいおとこっていたのも、――では人殺ひとごろしをはたらいたのは、この多襄丸たじょうまるちがいございません。かわいたゆみ黒塗くろぬりのえびらたかはね征矢そや十七本じゅうななほん、――これはみな、あのおとこっていたものでございましょう。はい。うまもおっしゃるとおり、法師髪ほうしがみ月毛つきげでございます。その畜生ちくしょうおとされるとは、なにかの因縁いんねんちがいございません。それは石橋いしばしすこさきに、なが端綱はづないたまま、みちばたの青芒あおすすきってりました。
 この多襄丸たじょうまるうやつは、洛中らくちゅう徘徊はいかいする盗人ぬすびとなかでも、おんなきのやつでございます。昨年さくねんあき鳥部寺とりべでら賓頭盧びんずるうしろやまに、物詣ものもうでにたらしい女房にょうぼう一人ひとりわらわいっしょにころされていたのは、こいつの仕業しわざだとかもうしてりました。その月毛つきげっていたおんなも、こいつがあのおとこころしたとなれば、どこへどうしたかわかりません。差出さしでがましゅうございますが、それも御詮議ごせんぎくださいまし。

検非違使けびいしわれたるおうな物語ものがたり

 はい、あの死骸しがい手前てまえむすめが、片附かたづいたおとこでございます。が、みやこのものではございません。若狭わかさ国府こくふさむらいでございます。金沢かなざわ武弘たけひろとし二十六歳にじゅうろくさいでございました。いえ、やさしい気立きだてでございますから、遺恨いこんなぞけるはずはございません。
 むすめでございますか? むすめ真砂まさごとし十九歳じゅうきゅうさいでございます。これはおとこにもおとらぬくらい勝気かちきおんなでございますが、まだ一度いちど武弘たけひろのほかには、おとこったことはございません。かおいろ浅黒あさぐろい、ひだり眼尻めじり黒子ほくろのある、ちいさい瓜実顔うりざねがおでございます。
 武弘たけひろ昨日きのうむすめいっしょに、若狭わかさったのでございますが、こんなことになりますとは、なん因果いんがでございましょう。しかしむすめはどうなりましたやら、むこことはあきらめましても、これだけは心配しんぱいでなりません。どうかこのうば一生いっしょうのおねがいでございますから、たとい草木くさきけましても、むすめ行方ゆくえをおたずくださいまし。なんいたにくいのは、その多襄丸たじょうまるとかなんとかもうす、盗人ぬすびとのやつでございます。むこばかりか、むすめまでも………(あとりて言葉ことばなし)

×          ×          ×

 

多襄丸たじょうまる白状はくじょう

 あのおとこころしたのはわたしです。しかしおんなころしはしません。ではどこへったのか? それはわたしにもわからないのです。まあ、おちなさい。いくら拷問ごうもんにかけられても、らないこともうされますまい。そのうえわたしもこうなれば、卑怯ひきょうかくてはしないつもりです。
 わたしは昨日きのうひるすこぎ、あの夫婦ふうふ出会であいました。そのときかぜいた拍子ひょうしに、牟子むし垂絹たれぎぬのぼったものですから、ちらりとおんなかおえたのです。ちらりと、――えたとおも瞬間しゅんかんには、もうえなくなったのですが、ひとつにはそのためもあったのでしょう、わたしにはあのおんなかおが、女菩薩にょぼさつのようにえたのです。わたしはその咄嗟とっさあいだに、たといおとこころしても、おんなうばおうと決心けっしんしました。
 なにおとこころすなぞは、あなたがたおもっているように、たいしたことではありません。どうせおんなうばうとなれば、かならず、おとこころされるのです。ただわたしはころときに、こし太刀たち使つかうのですが、あなたがた太刀たち使つかわない、ただ権力けんりょくころす、かねころす、どうかするとおためごかしの言葉ことばだけでもころすでしょう。なるほどながれない、おとこ立派りっぱきている、――しかしそれでもころしたのです。つみふかさをかんがえてれば、あなたがたわるいか、わたしがわるいか、どちらがわるいかわかりません。(皮肉ひにくなる微笑びしょう
 しかしおとこころさずとも、おんなうばこと出来できれば、べつ不足ふそくはないわけです。いや、そのときこころもちでは、出来できるだけおとこころさずに、おんなうばおうと決心けっしんしたのです。が、あの山科やましな駅路えきろでは、とてもそんなこと出来できません。そこでわたしはやまなかへ、あの夫婦ふうふをつれこむ工夫くふうをしました。
 これも造作ぞうさはありません。わたしはあの夫婦ふうふみちづれになると、むこうのやまには古塚ふるづかがある、この古塚ふるづかあばいてたら、かがみ太刀たち沢山たくさんた、わたしはだれらないように、やまかげやぶなかへ、そうものうずめてある、もしのぞがあるならば、どれでもやすわたしたい、――とはなしをしたのです。おとこはいつかわたしのはなしに、だんだんこころうごかしはじめました。それから、――どうです。よくうものはおそろしいではありませんか? それから半時はんときもたたないうちに、あの夫婦ふうふはわたしといっしょに、山路やまみちうまけていたのです。
 わたしはやぶまえると、たからはこのなかうずめてある、てくれといました。おとこよくかわいていますから、異存いぞんのあるはずはありません。が、おんなうまりずに、っているとうのです。またあのやぶしげっているのをては、そううのも無理むりはありますまい。わたしはこれもじつえば、おもつぼにはまったのですから、おんな一人ひとりのこしたまま、おとこやぶなかへはいりました。
 やぶはしばらくのあいだたけばかりです。が、半町はんちょうほどったところに、ややひらいたすぎむらがある、――わたしの仕事しごと仕遂しとげるのには、これほど都合つごう場所ばしょはありません。わたしはやぶけながら、たからすぎもとうずめてあると、もっともらしいうそをつきました。おとこはわたしにそうわれると、もうすぎいてえるほうへ、一生懸命いっしょうけんめいすすんできます。そのうちたけまばらになると、何本なんぼんすぎならんでいる、――わたしはそこへるがはやいか、いきなり相手あいてせました。おとこ太刀たちいているだけに、ちから相当そうとうにあったようですが、不意ふいたれてはたまりません。たちまち一本いっぽんすぎがたへ、くくりつけられてしまいました。なわですか? なわ盗人ぬすびと有難ありがたさに、いつへいえるかわかりませんから、ちゃんとこしにつけていたのです。勿論もちろんこえさせないためにも、たけ落葉おちば頬張ほおばらせれば、ほかに面倒めんどうはありません。
 わたしはおとこ片附かたづけてしまうと、今度こんどはまたおんなところへ、おとこ急病きゅうびょうおこしたらしいから、てくれといにきました。これも図星ずぼしあたったのは、もうげるまでもありますまい。おんな市女笠いちめがさいだまま、わたしにをとられながら、やぶおくへはいってました。ところがそこへると、おとこすぎしばられている、――おんなはそれを一目ひとめるなり、いつのまにふところからしていたか、きらりと小刀さすがきました。わたしはまだいままでに、あのくらい気性きしょうはげしいおんなは、一人ひとりことがありません。もしそのときでも油断ゆだんしていたらば、一突ひとつきに脾腹ひばらかれたでしょう。いや、それはかわしたところが、無二無三むにむざんてられるうちには、どんな怪我けが仕兼しかねなかったのです。が、わたしも多襄丸たじょうまるですから、どうにかこうにか太刀たちかずに、とうとう小刀さすがおとしました。いくらったおんなでも、得物えものがなければ仕方しかたがありません。わたしはとうとうおもどおり、おとこいのちらずとも、おんなれること出来できたのです。
 おとこいのちらずとも、――そうです。わたしはそのうえにも、おとこころすつもりはなかったのです。ところしたおんなあとに、やぶそとげようとすると、おんな突然とつぜんわたしのうでへ、気違きちがいのようにすがりつきました。しかもれにさけぶのをけば、あなたがぬかおっとぬか、どちらか一人ひとりんでくれ、二人ふたりおとこはじせるのは、ぬよりもつらいとうのです。いや、そのうちどちらにしろ、のこったおとこにつれいたい、――そうもあえあえうのです。わたしはそのとき猛然もうぜんと、おとこころしたいになりました。(陰鬱いんうつなる興奮こうふん
 こんなこともうげると、きっとわたしはあなたがたより残酷ざんこく人間にんげんえるでしょう。しかしそれはあなたがたが、あのおんなかおないからです。ことにその一瞬間いっしゅんかんの、えるようなひとみないからです。わたしはおんなあわせたとき、たとい神鳴かみなりころされても、このおんなつまにしたいとおもいました。つまにしたい、――わたしの念頭ねんとうにあったのは、ただこう一事いちじだけです。これはあなたがたおもうように、いやしい色欲しきよくではありません。もしそのとき色欲しきよくのほかに、なにのぞみがなかったとすれば、わたしはおんな蹴倒けたおしても、きっとげてしまったでしょう。おとこもそうすればわたしの太刀たちに、ことにはならなかったのです。が、薄暗うすぐらやぶなかに、じっとおんなかお刹那せつな、わたしはおとこころさないかぎり、ここはるまいと覚悟かくごしました。
 しかしおとこころすにしても、卑怯ひきょうころかたはしたくありません。わたしはおとこなわほどいたうえ太刀打たちうちをしろといました。(すぎがたにちていたのは、そのときわすれたなわなのです。)おとこ血相けっそうえたまま、ふと太刀たちきました。とおもうとくちかずに、憤然ふんぜんとわたしへびかかりました。――その太刀打たちうちがどうなったかは、もうげるまでもありますまい。わたしの太刀たち二十三合目にじゅうさんごうめに、相手あいてむねつらぬきました。二十三合目にじゅうさんごうめに、――どうかそれをわすれずにください。わたしはいまでもこのことだけは、感心かんしんだとおもっているのです。わたしと二十合にじゅうごうむすんだものは、天下てんかにあのおとこ一人ひとりだけですから。(快活かいかつなる微笑びしょう
 わたしはおとこたおれると同時どうじに、まったかたなげたなり、おんなほうかえりました。すると、――どうです、あのおんなはどこにもいないではありませんか? わたしはおんながどちらへげたか、すぎむらのあいださがしてました。が、たけ落葉おちばうえには、それらしいあとのこっていません。またみみませてても、きこえるのはただおとこのどに、断末魔だんまつまおとがするだけです。
 ことによるとあのおんなは、わたしが太刀打たちうちはじめるがはやいか、ひとたすけでもぶために、やぶをくぐってげたのかもれない。――わたしはそうかんがえると、今度こんどはわたしのいのちですから、太刀たち弓矢ゆみやうばったなり、すぐにまたもとの山路やまみちました。そこにはまだおんなうまが、しずかにくさっています。そのこともうげるだけ、無用むよう口数くちかずぎますまい。ただ、みやこへはいるまえに、太刀たちだけはもう手放てばなしていました。――わたしの白状はくじょうはこれだけです。どうせ一度いちどおうちこずえに、けるくびおもっていますから、どうか極刑ごっけいわせてください。(昂然こうぜんたる態度たいど

清水寺きよみずでられるおんな懺悔ざんげ

 ――そのこん水干すいかんおとこは、わたしをごめにしてしまうと、しばられたおっとながめながら、あざけるようにわらいました。おっとはどんなに無念むねんだったでしょう。が、いくら身悶みもだえをしても、体中からだじゅうにかかった縄目なわめは、一層いっそうひしひしとるだけです。わたしはおもわずおっとそばへ、ころぶようにはしりました。いえ、はしろうとしたのです。しかしおとこ咄嗟とっさあいだに、わたしをそこへ蹴倒けたおしました。ちょうどその途端とたんです。わたしはおっとなかに、なんともいようのないかがやきが、宿やどっているのをさとりました。なんともいようのない、――わたしはあのおもすと、いまでも身震みぶるいがずにはいられません。くちさえ一言いちごんけないおっとは、その刹那せつななかに、一切いっさいこころつたえたのです。しかしそこにひらめいていたのは、いかりでもなければかなしみでもない、――ただわたしをさげすんだ、つめたいひかりだったではありませんか? わたしはおとこられたよりも、そのいろたれたように、我知われしらずなにさけんだぎり、とうとううしなってしまいました。
 そのうちにやっとがついてると、あのこん水干すいかんおとこは、もうどこかへっていました。あとにはただすぎがたに、おっとしばられているだけです。わたしはたけ落葉おちばうえに、やっとからだおこしたなり、おっとかお見守みまもりました。が、おっといろは、すこしもさっきとかわりません。やはりつめたいさげすみのそこに、にくしみのいろせているのです。はずかしさ、かなしさ、腹立はらだたしさ、――そのときのわたしのこころうちは、なんえばいかわかりません。わたしはよろよろあがりながら、おっとそば近寄ちかよりました。
「あなた。もうこうなったうえは、あなたと御一ごいっしょにはられません。わたしは一思ひとおもいに覚悟かくごです。しかし、――しかしあなたもおになすってください。あなたはわたしのはじ御覧ごらんになりました。わたしはこのままあなた一人ひとり、おのこもうわけにはまいりません。」
 わたしは一生懸命いっしょうけんめいに、これだけのこといました。それでもおっといまわしそうに、わたしをつめているばかりなのです。わたしはけそうなむねおさえながら、おっと太刀たちさがしました。が、あの盗人ぬすびとうばわれたのでしょう、太刀たち勿論もちろん弓矢ゆみやさえも、やぶなかには見当みあたりません。しかしさいわ小刀さすがだけは、わたしのあしもとにちているのです。わたしはその小刀さすがげると、もう一度いちどおっとにこういました。
「ではおいのちいただかせてください。わたしもすぐにおともします。」
 おっとはこの言葉ことばいたとおき、やっとくちびるうごかしました。勿論もちろんくちにはささ落葉おちばが、いっぱいにつまっていますから、こえすこしもきこえません。が、わたしはそれをると、たちまちその言葉ことばさとりました。おっとはわたしをさげすんだまま、「ころせ。」と一言ひとことったのです。わたしはほとんど、ゆめうつつのうちに、おっとはなだ水干すいかんむねへ、ずぶりと小刀さすがとおしました。
 わたしはまたこのときも、うしなってしまったのでしょう。やっとあたりをまわしたときには、おっとはもうしばられたまま、とうにいきえていました。そのあおざめたかおうえには、たけまじったすぎむらのそらから、西日にしびひとすじちているのです。わたしはごえみながら、死骸しがいなわてました。そうして、――そうしてわたしがどうなったか? それだけはもうわたしには、もうげるちからもありません。とにかくわたしはどうしても、ちからがなかったのです。小刀さすがのどてたり、やますそいけげたり、いろいろなこともしてましたが、れずにこうしているかぎり、これも自慢じまんにはなりますまい。(さびしき微笑びしょう)わたしのように腑甲斐ふがいないものは、大慈大悲だいじだいひ観世音菩薩かんぜおんぼさつも、お見放みはなしなすったものかもれません。しかしおっところしたわたしは、盗人ぬすびとごめにったわたしは、一体いったいどうすればいのでしょう? 一体いったいわたしは、――わたしは、――(突然とつぜんはげしき歔欷すすりなき

巫女みこくちりたる死霊しりょう物語ものがたり

 ――盗人ぬすびとつまごめにすると、そこへこしおろしたまま、いろいろつまなぐさした。おれは勿論もちろんくちけない。からだすぎしばられている。が、おれはそのあいだに、何度なんどつまくばせをした。このおとこことけるな、なにってもうそおもえ、――おれはそんな意味いみつたえたいとおもった。しかしつま悄然しょうぜんささ落葉おちばすわったなり、じっとひざをやっている。それがどうも盗人ぬすびと言葉ことばに、っているようにえるではないか? おれはねたましさに身悶みもだえをした。が、盗人ぬすびとはそれからそれへと、巧妙こうみょうはなしすすめている。一度いちどでも肌身はだみけがしたとなれば、おっととのなかうまい。そんなおっとっているより、自分じぶんつまになるはないか? 自分じぶんはいとしいとおもえばこそ、だいそれた真似まねはたらいたのだ、――盗人ぬすびとはとうとう大胆だいたんにも、そうはなしさえした。
 盗人ぬすびとにこうわれると、つまはうっとりとかおもたげた。おれはまだあのときほど、うつくしいつまことがない。しかしそのうつくしいつまは、現在げんざいしばられたおれをまえに、なん盗人ぬすびと返事へんじをしたか? おれは中有ちゅううまよっていても、つま返事へんじおもすごとに、嗔恚しんいえなかったためしはない。つまたしかにこうった、――「ではどこへでもつれてってください。」(なが沈黙ちんもく
 つまつみはそれだけではない。それだけならばこのやみなかに、いまほどおれもくるしみはしまい。しかしつまゆめのように、盗人ぬすびとをとられながら、やぶそとこうとすると、たちまち顔色がんしょくうしなったなり、すぎのおれをゆびさした。「あのひところしてください。わたしはあのひときていては、あなたといっしょにはいられません。」――つまくるったように、何度なんどもこうさけてた。「あのひところしてください。」――この言葉ことばあらしのように、いまでもとおやみそこへ、まっ逆様さかさまにおれをおとそうとする。一度いちどでもこのくらいにくむべき言葉ことばが、人間にんげんくちことがあろうか? 一度いちどでもこのくらいのろわしい言葉ことばが、人間にんげんみみれたことがあろうか? 一度いちどでもこのくらい、――(突然とつぜんほとばしるごとき嘲笑ちょうしょう)その言葉ことばいたときは、盗人ぬすびとさえいろうしなってしまった。「あのひところしてください。」――つまはそう叫びながら、盗人ぬすびとうですがっている。盗人ぬすびとはじっとつまたまま、ころすともころさぬとも返事へんじをしない。――とおもうかおもわないうちに、つまたけ落葉おちばうえへ、ただ一蹴ひとりに蹴倒けたおされた、(ふたたほとばしるごとき嘲笑しょうちょう盗人ぬすびとしずかに両腕りょううでむと、おれの姿すがたをやった。「あのおんなはどうするつもりだ? ころすか、それともたすけてやるか? 返事へんじはただうなずけばい。ころすか?」――おれはこの言葉ことばだけでも、盗人ぬすびとつみゆるしてやりたい。(ふたたび、なが沈黙ちんもく
 つまはおれがためらううちに、なに一声ひとこえさけぶがはやいか、たちまちやぶおくはしした。盗人ぬすびと咄嗟とっさびかかったが、これはそでさえとらえなかったらしい。おれはただまぼろしのように、そう景色けしきながめていた。
 盗人ぬすびとつまったのち太刀たち弓矢ゆみやげると、一箇所いっかしょだけおれのなわった。「今度こんどはおれのうえだ。」――おれは盗人ぬすびとやぶそとへ、姿すがたかくしてしまうときに、こうつぶやいたのをおぼえている。そのあとはどこもしずかだった。いや、まだだれかのこえがする。おれはなわきながら、じっとみみませてた。が、そのこえがついてれば、おれ自身じしんいているこえだったではないか? (三度みたびなが沈黙ちんもく
 おれはやっとすぎから、つかてたからだおこした。おれのまえにはつまおとした、小刀さすがひとひかっている。おれはそれをにとると、一突ひとつきにおれのむねした。なになまぐさかたまりがおれのくちへこみげてる。が、くるしみはすこしもない。ただむねつめたくなると、一層いっそうあたりがしんとしてしまった。ああ、なんしずかさだろう。この山陰やまかげやぶそらには、小鳥ことり一羽いちわさえずりにない。ただすぎたけうらに、さびしい日影ひかげただよっている。日影ひかげが、――それも次第しだいうすれてる。――もうすぎたけえない。おれはそこにたおれたまま、ふかしずかさにつつまれている。
 そのときだれしのあしに、おれのそばたものがある。おれはそちらをようとした。が、おれのまわりには、いつか薄闇うすやみちこめている。だれか、――そのだれかはえないに、そっとむね小刀さすがいた。同時どうじにおれのくちなかには、もう一度いちど血潮ちしおあふれてる。おれはそれぎり永久えいきゅうに、中有ちゅううやみしずんでしまった。………


当事者の証言が食い違うが故に肝心の事件の真相部分は明かされません。
食い違うということは、誰かが思い違いや嘘をついているということ。
それはいったい誰なのか、そしてなぜ食い違っているのか。
この話は、どの人物の立場に立って考えるかで、事件や人物への印象が大きく変わってしまうのが面白いところです。
何通りもの真相が考えられる話なので、読者の推理があってこそ完成する作品なのかもしれませんね。
次回の作品もお楽しみに。

引用元:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/index.html)
底本:「芥川龍之介全集4」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年1月27日第1刷発行
1996(平成8)年7月15日第8刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
初出:「新潮」
1922(大正11)年1月
入力:平山誠、野口英司
校正:もりみつじゅんじ
1997年11月10日公開
2011年5月22日修正

Grandhoodでは、杖・シルバーカー・ショッピングカートなどシニア世代の『歩く』をサポートする商品やバッグ・お財布などの可愛い猫雑貨を販売中です。ぜひチェックしてみてください♪

全商品一覧を見る

関連記事