春の訪れを感じることが増えてきましたね。
新生活が始まる人も多い中、新しい人と関わることも多くなってくるはず。
そんな時に少しでも多くの言葉を知っていると、話が盛り上がるかもしれませんよ。
本日は、穴を埋めて言葉を完成させる「穴埋めクイズ」の第四弾です。
今回は『動物が登場することわざや慣用句』に挑戦してみましょう。
前後の言葉や意味から☐に当てはまる言葉を考えてみてください。
解答はブログ記事の下部の「解答編を開く」でご紹介します。
① |  |
一見関係が無いような者でも実は同類・仲間であること。
② |  |
非常に危険なことをすること。
③ |  |
自分の狭い知識に囚われてしまい、物事の大局的な判断ができないこと。
④ |  |
だらだらと細く長く続くこと。
⑤ |  |
入れ物よりも大きな中身などあり得ないということ。
⑥ |  |
ごく僅かなもの。
⑦ |  |
極めて微細なこと。
⑧ |  |
物事に決着をつけず、不徹底のままにして苦しめること。
⑨ |  |
互いに同じようなことをいつまでも繰り返すだけで、決着がつかないこと。
⑩ |  |
非常に忙しく手不足で、どんな手伝いでもほしいこと。
⑪ |  |
強いものが有利な条件を得て、ますます強くなること。
⑫ |  |
逃げ出すことのできない状態であること。
⑬ |  |
効果の無い努力や無駄な言葉を使っても、相手には理解されないこと。
⑭ |  |
普段から目を掛けてやっている者に裏切られ、酷い目にあうこと。
⑮ |  |
子が親に似ること。
⑯ |  |
何の手ごたえもないこと。
⑰ |  |
凡人は大人物・大事業の一部しか理解できないということ。
⑱ |  |
表面的な類似があっても、比較にならないほどその違いは大きいこと。
⑲ |  |
その道に優れた者でも、時には失敗することがあるということ。
⑳ |  |
親切そうに振舞っているが、内心では良からぬことを考えている人物のたとえ。
問題は以上になります。
解答編を開く
① |  |
一見関係が無いような者でも実は同類・仲間であること。
ムジナはアナグマのことを指します。
アナグマは穴を掘ってねぐらを作りますが、そのねぐらを穴掘りが苦手なタヌキも利用する習性があります。
同じ穴から這い出てくる姿を見た人がことわざを産み出したのかもしれませんね。
② |  |
非常に危険なことをすること。
中国の古代書物「易経(えききょう)」には、占いに使う「六十四卦(ろくじゅうしけ)」が記載されています。
その中の「天沢履(てんたくり)」の「履虎尾。不咥人。亨。(とらのおをふむ。ひとをくらわず。とおる。)」という説明が由来とされています。
無事に済むと言われても踏みたくはありませんね。
③ |  |
自分の狭い知識に囚われてしまい、物事の大局的な判断ができないこと。
中国の「荘子(そうじ)」という書物から由来しており、世界を広げるためには他の世界を知ることが大切であることを説かれる言葉です。
いつでも自分の知っていることが全てと思わず、新しいことを取り入れようとする姿勢が大切です。
④ |  |
だらだらと細く長く続くこと。
牛は一日に200Lも涎を分泌しており、口を閉じる筋力が弱いので涎を垂らしている姿を見かけやすいもの。
切れ目なく長く垂れ続ける姿がそのまま慣用句になったようです。
この言葉は商いの心掛けの一つにも使われ、気長く努力するようにという戒めになっています。
⑤ |  |
入れ物よりも大きな中身などあり得ないということ。
いくら大きいと言っても住んでいる山よりも大きいことはあり得ません。
「大げさな言い方は程々にせよ」という意味と「乗り越えられぬ困難は降りかからない」という意味で、解釈が分かれる言葉です。
⑥ |  |
ごく僅かなもの。
小さな小鳥が涙を流せば、その量はきっと極少量でしょう。
多くはお金の少なさを表すのによく使われる言葉です。
⑦ |  |
極めて微細なこと。
兎の毛は細くて柔らかく、その毛で突かれたとしてもあまり感じません。
そこから転じて「ほんの少し」を表現する言葉になりました。
⑧ |  |
物事に決着をつけず、不徹底のままにして苦しめること。
蛇は生命力がとても強く、ちょっとやそっとじゃ殺すことができません。
転じて半死半生にして苦しめるという意味になりました。
さらにこの言葉に付け加えて「蛇の生殺しは人を噛む(へびのなまごろしはひとをかむ)」ということわざもあり、後々災いを生むという戒めがあります。
⑨ |  |
互いに同じようなことをいつまでも繰り返すだけで、決着がつかないこと。
元は江戸時代頃に子供の間で流行った二人遊びの一つで、「いたちごっこ、ねずみごっこ」と言いながら相手の手の甲を順につまみ合うというもの。
両手が塞がった場合は、一番下にある手を上に持っていってまた相手の手の甲をつまむのです。
結果的に終わりが無い遊びであることから、転じた言葉です。
⑩ |  |
非常に忙しく手不足で、どんな手伝いでもほしいこと。
江戸時代の歌舞伎作者「近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)」が作った浄瑠璃「関八州繋馬(かんはっしゅうつなぎうま)」。
その中で多忙であることを「~上から下までお目出度と、猫の手もかりたい忙しさ、~」と表現されたことが由来といわれています。
手先が器用な猫であれば、少しくらい手伝ってほしい気持ちになりますね。
⑪ |  |
強いものが有利な条件を得て、ますます強くなること。
獅子は百獣の王であるライオンのこと。
陸上で最強である獅子に魚の鰭があれば、水中でも無尽蔵に泳ぐことができ、きっと水中でも最強になるのではないでしょうか。
そんなユニークな発想で出来上がった言葉です。
⑫ |  |
逃げ出すことのできない状態であること。
こちらも近松門左衛門作の「浦島年代記(うらしまねんだいき)」が初出といわれています。
「大将平馬は此社壇に袋の鼠ただ取こと」という一文は「大将平馬が袋に入った鼠を捕まえる」という意味です。
袋に入ってしまったネズミは、まさに逃げることができないというそのままの姿が言葉になっています。
⑬ |  |
効果の無い努力や無駄な言葉を使っても、相手には理解されないこと。
言葉から想像できるように、馬に念仏を唱えても理解してくれているとは思えません。
慣用句には同じように「無駄なこと」「理解されないこと」という意味を持つ言葉が沢山ありますが、その中でも姿を想像すると何とも面白く見えてしまう言葉です。
⑭ |  |
普段から目を掛けてやっている者に裏切られ、酷い目にあうこと。
いつでも忠実で可愛いと思える飼い犬も、ふとしたことがきっかけで飼い主を噛むことがあるでしょう。
相手に感情があればこそ、絶対に歯向かわれないということはありません。
相手を信用しないのは良くありませんが、あり得ないことではないということは胸に留めておいた方が良さそうです。
⑮ |  |
子が親に似ること。
狐は全体の体毛は黄色ですが、頬など一部分は白い体毛です。
そんな親から生まれた子ぎつねも、ちゃんと頬が白く生まれてきます。
転じて子どもは親に似ると言えますね。
⑯ |  |
何の手ごたえもないこと。
鹿の角は鹿の身体の一部ですが、硬い鹿の角を蜂が刺したとしても、鹿は何とも感じずケロリとしています。
そこからまったく痛みもかゆくも感じないという意味になっています。
⑰ |  |
凡人は大人物・大事業の一部しか理解できないということ。
インド発祥の寓話が元になっている言葉です。
複数の盲人がそれぞれ象の足・鼻・牙などを部分的に触り、その感想を語ると内容が食い違うというもの。
大きなことを部分的に見るだけでは、全てを理解することはできないという戒めですね。
⑱ |  |
表面的な類似があっても、比較にならないほどその違いは大きいこと。
月もスッポンも見た目は丸いという共通点がありますが、空で美しく輝く月と泥の中に生息するスッポンはとても同じとは言えません。
スッポンには悪いですが、比較できないというのは納得です。
⑲ |  |
その道に優れた者でも、時には失敗することがあるということ。
木登りの達人である猿も枝を掴み損なって落ちてしまうことがあります。
油断をせずに着実にこなしていきたいものです。
⑳ |  |
親切そうに振舞っているが、内心では良からぬことを考えている人物のたとえ。
新約聖書が元になったことわざで、マタイの福音書7章15節に「にせ預言者に気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。」という一説に由来します。
しばしば聖書ではヒツジは神に導かれる信者を表し、オオカミは悪の象徴として描かれており、例えとして表現されるのも納得できますね。
動物の性質が上手く言葉に落とし込まれているのが良く分かります。
逆に言葉を見てみると、動物のことを詳しく知ることもできるので面白いですね。
皆さんはいくつ正解することができましたか。