文学作品に身を委ねて~中島敦『山月記』~

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昨今は動画サービスが主流で、文章を読む機会が少なくなっているような気がしますね。
短時間で要点が分かるのはメリットかもしれませんが、じっくりと想像や考えを巡らせながら物語を読むのも楽しいものですよ。
ひとまず30分以内で読める比較的ライトな短編小説を楽しんでみませんか。
今回は高校の教科書にも載っている、中島敦の「山月記」を読んでみましょう。

 

中国古典の新解釈を得意とした文豪

小説の題材として過去の逸話や伝説を基にすることは、手法の一つです。
その話は日本国内だけでなく、海外のものから着想を受けることも多いもの。
『中島敦(なかじまあつし)』は、中国の古典や故事に基づいた作品を多く残した小説家です。
父親が儒学者であったり、父親の転勤で5年半朝鮮半島で暮らしたこともあってか、幼少期から漢文に触れる機会が多かったことが要因の一つといわれています。
また日本の外地を訪れることも多く、植民地の状況をとらえていたため、作者が直接経験した事柄を題材にする「私小説(わたくししょうせつ)」も執筆しています。
持病に喘息を患っていたこともあり、33歳という若さでこの世を去りました。

彼の著作は数は多くないものの評価が高く、今回紹介する『山月記(さんげつき)』は、日本五大文芸誌の一つ「文學界(ぶんがくかい)」に掲載されたものです。
その評判は「森鴎外の再来」や「第二の芥川龍之介」と言われるほどでした。
現在でも支持が強く、高校の国語教科書に掲載されることの多い作品です。
その他の代表作には、山月記と共に掲載された『文字禍(もじか)』や生前最後の発表作の『名人伝(めいじんでん)』、中島の没後に発表された『弟子(ていし)』や『李陵(りりょう)』などがあります。

山月記は、かつて中国で繁栄した清朝の説話集『唐人説薈(とうじんせつわい)』の収録されている「人虎伝(じんこでん)」を基にアレンジされた作品です。
「李徴(りちょう)」という人物が詩人を志すも挫折し、虎へと姿を変えて友人に経緯を語るというものです。
彼がどうして虎になってしまったのか、その物語の行く末を紐解いてみましょう。

 

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山月記
中島敦

 隴西ろうさいの李徴りちょうは博学はくがく才穎さいえい、天宝てんぽうの末年まつねん、若わかくして名なを虎榜こぼうに連つらね、ついで江南尉こうなんいに補ほせられたが、性せい、狷介けんかい、自みずから恃たのむところ頗すこぶる厚あつく、賤吏せんりに甘あまんずるを潔いさぎよしとしなかった。いくばくもなく官かんを退しりぞいた後あとは、故山こざん、虢略かくりゃくに帰臥きがし、人ひとと交まじわりを絶たって、ひたすら詩作しさくに耽ふけった。下吏かりとなって長ながく膝ひざを俗悪ぞくあくな大官たいかんの前まえに屈くっするよりは、詩家しかとしての名なを死後しご百年ひゃくねんに遺のこそうとしたのである。しかし、文名ぶんめいは容易よういに揚あがらず、生活せいかつは日ひを逐おうて苦くるしくなる。李徴りちょうは漸ようやく焦躁しょうそうに駆かられて来きた。この頃ころからその容貌ようぼうも峭刻しょうこくとなり、肉にく落おち骨ほね秀ひいで、眼光がんこうのみ徒いたずらに炯々けいけいとして、曾かつて進士しんしに登第とうだいした頃ころの豊頬ほうきょうの美少年びしょうねんの俤おもかげは、何処どこに求もとめようもない。数年すうねんの後のち、貧窮ひんきゅうに堪たえず、妻子さいしの衣食いしょくのために遂ついに節せつを屈くっして、再ふたたび東ひがしへ赴おもむき、一地方官吏いちちほうかんりの職しょくを奉ほうずることになった。一方いっぽう、これは、己おのれの詩業しぎょうに半なかば絶望ぜつぼうしたためでもある。曾かつての同輩どうはいは既すでに遥はるか高位こういに進すすみ、彼かれが昔むかし、鈍物どんぶつとして歯牙しがにもかけなかったその連中れんちゅうの下命かめいを拝はいさねばならぬことが、往年おうねんの儁才しゅんさい李徴りちょうの自尊心じそんしんを如何いかに傷きずつけたかは、想像そうぞうに難かたくない。彼かれは怏々おうおうとして楽たのしまず、狂悖きょうはいの性せいは愈々いよいよ抑おさえ難がたくなった。一年いちねんの後のち、公用こうようで旅たびに出で、汝水じょすいのほとりに宿やどった時とき、遂ついに発狂はっきょうした。或ある夜半よわ、急きゅうに顔色かおいろを変かえて寝床ねどこから起上おきあがると、何なにか訳わけの分わからぬことを叫さけびつつそのまま下したにとび下おりて、闇やみの中なかへ駈出かけだした。彼かれは二度にどと戻もどって来こなかった。附近ふきんの山野さんやを捜索そうさくしても、何なんの手掛てがかりもない。その後ご李徴りちょうがどうなったかを知しる者ものは、誰だれもなかった。
 翌年よくとし、監察御史かんさつぎょし、陳郡ちんぐんの袁傪えんさんという者もの、勅命ちょくめいを奉ほうじて嶺南れいなんに使つかいし、途みちに商於しょうおの地ちに宿やどった。次つぎの朝あさ未まだ暗くらい中うちに出発しゅっぱつしようとしたところ、駅吏えきりが言いうことに、これから先さきの道みちに人喰虎ひとくいどらが出でる故ゆえ、旅人たびびとは白昼はくちゅうでなければ、通とおれない。今いまはまだ朝あさが早はやいから、今いま少すこし待またれたが宜よろしいでしょうと。袁傪えんさんは、しかし、供廻ともまわりの多勢たぜいなのを恃たのみ、駅吏えきりの言葉ことばを斥しりぞけて、出発しゅっぱつした。残月ざんげつの光ひかりをたよりに林中りんちゅうの草地くさちを通とおって行いった時とき、果はたして一匹いっぴきの猛虎もうこが叢くさむらの中なかから躍おどり出でた。虎とらは、あわや袁傪えんさんに躍おどりかかるかと見みえたが、忽たちまち身みを飜ひるがえして、元もとの叢くさむらに隠かくれた。叢くさむらの中なかから人間にんげんの声こえで「あぶないところだった」と繰返くりかえし呟つぶやくのが聞きこえた。その声こえに袁傪えんさんは聞きき憶おぼえがあった。驚懼きょうくの中なかにも、彼かれは咄嗟とっさに思おもいあたって、叫さけんだ。「その声こえは、我わが友とも、李徴子りちょうしではないか?」袁傪えんさんは李徴りちょうと同年どうねんに進士しんしの第だいに登のぼり、友人ゆうじんの少すくなかった李徴りちょうにとっては、最もっとも親したしい友ともであった。温和おんわな袁傪えんさんの性格せいかくが、峻峭しゅんしょうな李徴りちょうの性情せいじょうと衝突しょうとつしなかったためであろう。
 叢くさむらの中なかからは、暫しばらく返辞へんじが無なかった。しのび泣なきかと思おもわれる微かすかな声こえが時々ときどき洩もれるばかりである。ややあって、低ひくい声こえが答こたえた。「如何いかにも自分じぶんは隴西ろうさいの李徴りちょうである」と。
 袁傪えんさんは恐怖きょうふを忘わすれ、馬うまから下おりて叢くさむらに近ちかづき、懐なつかしげに久闊きゅうかつを叙じょした。そして、何故なぜ叢くさむらから出でて来こないのかと問とうた。李徴りちょうの声こえが答こたえて言いう。自分じぶんは今いまや異類いるいの身みとなっている。どうして、おめおめと故人ともの前まえにあさましい姿すがたをさらせようか。かつ又また、自分じぶんが姿すがたを現あらわせば、必かならずず君きみに畏怖嫌厭いふけんえんの情じょうを起おこさせるに決きまっているからだ。しかし、今いま、図はからずも故人ともに遇あうことを得えて、愧赧きたんの念ねんをも忘わすれる程ほどに懐なつかしい。どうか、ほんの暫しばらくでいいから、我わが醜悪しゅうあくな今いまの外形がいけいを厭いとわず、曾かつて君きみの友とも李徴りちょうであったこの自分じぶんと話はなしを交かわしてくれないだろうか。
 後あとで考かんがえれば不思議ふしぎだったが、その時とき、袁傪えんさんは、この超自然ちょうしぜんの怪異かいいを、実じつに素直すなおに受容うけいれて、少すこしも怪あやしもうとしなかった。彼かれは部下ぶかに命めいじて行列ぎょうれつの進行しんこうを停とめ、自分じぶんは叢くさむらの傍かたわらに立たって、見みえざる声こえと対談たいだんした。都みやこの噂うわさ、旧友きゅうゆうの消息しょうそく、袁傪えんさんが現在げんざいの地位ちい、それに対たいする李徴りちょうの祝辞しゅくじ。青年時代せいねんじだいに親したしかった者もの同志どうしの、あの隔へだてのない語調ごちょうで、それ等らが語かたられた後あと、袁傪えんさんは、李徴りちょうがどうして今いまの身みとなるに至いたったかを訊たずねた。草中そうちゅうの声こえは次つぎのように語かたった。
 今いまから一年程前いちねんほどまえ、自分じぶんが旅たびに出でて汝水じょすいのほとりに泊とまった夜よるのこと、一睡いっすいしてから、ふと眼めを覚さますと、戸外こがいで誰だれかが我わが名なを呼よんでいる。声こえに応おうじて外そとへ出でて見みると、声こえは闇やみの中なかから頻しきりに自分じぶんを招まねく。覚おぼえず、自分じぶんは声こえを追おうて走はしり出だした。無我夢中むがむちゅうで駈かけて行いく中なかに、何時いつしか途みちは山林さんりんに入はいり、しかも、知しらぬ間まに自分じぶんは左右さゆうの手てで地ちを攫つかんで走はしっていた。何なにか身体中からだじゅうに力ちからが充みち満みちたような感かんじで、軽々かるがると岩石がんせきを跳とび越こえて行いった。気きが付つくと、手先てさきや肱ひじのあたりに毛けを生しょうじているらしい。少すこし明あかるくなってから、谷川たにがわに臨のぞんで姿すがたを映うつして見みると、既すでに虎とらとなっていた。自分じぶんは初はじめ眼めを信しんじなかった。次つぎに、これは夢ゆめに違ちがいないと考かんがえた。夢ゆめの中なかで、これは夢ゆめだぞと知しっているような夢ゆめを、自分じぶんはそれまでに見みたことがあったから。どうしても夢ゆめでないと悟さとらねばならなかった時とき、自分じぶんは茫然ぼうぜんとした。そうして懼おそれた。全まったく、どんな事ことでも起おこり得えるのだと思おもうて、深ふかく懼おそれた。しかし、何故なぜこんな事ことになったのだろう。分わからぬ。全まったく何事なにごとも我々われわれには判わからぬ。理由りゆうも分わからずに押付おしつけられたものを大人おとなしく受取うけとって、理由りゆうも分わからずに生いきて行いくのが、我々われわれ生いきもののさだめだ。自分じぶんは直すぐに死しを想おもうた。しかし、その時とき、眼めの前まえを一匹いっぴきの兎うさぎが駈かけ過すぎるのを見みた途端とたんに、自分じぶんの中なかの人間にんげんは忽たちまち姿すがたを消けした。再ふたたび自分じぶんの中なかの人間にんげんが目めを覚さました時とき、自分じぶんの口くちは兎うさぎの血ちに塗まみれ、あたりには兎うさぎの毛けが散ちらばっていた。これが虎とらとしての最初さいしょの経験けいけんであった。それ以来いらい今いままでにどんな所行しょぎょうをし続つづけて来きたか、それは到底とうてい語かたるに忍しのびない。ただ、一日いちにちの中うちに必かならず数時間すうじかんは、人間にんげんの心こころが還かえって来くる。そういう時ときには、曾かつての日ひと同おなじく、人語じんごも操あやつれれば、複雑ふくざつな思考しこうにも堪たえ得えるし、経書けいしょの章句しょうくを誦そらんずることも出来できる。その人間にんげんの心こころで、虎とらとしての己おのれの残虐ざんぎゃくな行おこないのあとを見み、己おのれの運命うんめいをふりかえる時ときが、最もっとも情なさけなく、恐おそろしく、憤いきどおろしい。しかし、その、人間にんげんにかえる数時間すうじかんも、日ひを経へるに従したがって次第しだいに短みじかくなって行いく。今いままでは、どうして虎とらなどになったかと怪あやしんでいたのに、この間あいだひょいと気きが付ついて見みたら、己おれはどうして以前いぜん、人間にんげんだったのかと考かんがえていた。これは恐おそしいことだ。今いま少すこし経たてば、己おれの中なかの人間にんげんの心こころは、獣けものとしての習慣しゅうかんの中なかにすっかり埋うもれて消きえて了しまうだろう。ちょうど、古ふるい宮殿きゅうでんの礎いしずえが次第しだいに土砂どしゃに埋没まいぼつするように。そうすれば、しまいに己おれは自分じぶんの過去かこを忘わすれ果はて、一匹いっぴきの虎とらとして狂くるい廻まわり、今日きょうのように途みちで君きみと出会であっても故人ともと認みとめることなく、君きみを裂さき喰くろうて何なんの悔くいも感かんじないだろう。一体いったい、獣けものでも人間にんげんでも、もとは何なにか他ほかのものだったんだろう。初はじめはそれを憶おぼえているが、次第しだいに忘わすれて了しまい、初はじめから今いまの形かたちのものだったと思おもい込こんでいるのではないか? いや、そんな事ことはどうでもいい。己おれの中なかの人間にんげんの心こころがすっかり消きえて了しまえば、恐おそらく、その方ほうが、己おれはしあわせになれるだろう。だのに、己おれの中なかの人間にんげんは、その事ことを、この上うえなく恐おそろしく感かんじているのだ。ああ、全まったく、どんなに、恐おそろしく、哀かなしく、切せつなく思おもっているだろう! 己おれが人間にんげんだった記憶きおくのなくなることを。この気持きもちは誰だれにも分わからない。誰だれにも分わらない。己おれと同おなじ身みの上うえに成なった者ものでなければ。ところで、そうだ。己おれがすっかり人間にんげんでなくなって了しまう前まえに、一ひとつ頼たのんで置おきたいことがある。
 袁傪えんさんはじめ一行いっこうは、息いきをのんで、叢中そうちゅうの声こえの語かたる不思議ふしぎに聞入ききいっていた。声こえは続つづけて言いう。
 他ほかでもない。自分じぶんは元来がんらい詩人しじんとして名なを成なす積つもりでいた。しかも、業ごう未いまだ成ならざるに、この運命うんめいに立至たちいたった。曾かつて作つくるところの詩数しすう百篇ひゃっぺん、固もとより、まだ世よに行おこなわれておらぬ。遺稿いこうの所在しょざいも最早もはや判わからなくなっていよう。ところで、その中うち、今いまも尚なお記誦きしょうせるものが数十すうじゅうある。これを我わが為ために伝録でんろくして戴いただきたいのだ。何なにも、これに仍よって一人前いちにんまえの詩人しじん面づらをしたいのではない。作さくの巧拙こうせつは知しらず、とにかく、産さんを破やぶり心こころを狂くるわせてまで自分じぶんが生涯しょうがいそれに執着しゅうちゃくしたところのものを、一部いちぶなりとも後代こうだいに伝つたえないでは、死しんでも死しに切きれないのだ。
 袁傪えんさんは部下ぶかに命めいじ、筆ふでを執とって叢中そうちゅうの声こえに随したがって書かきとらせた。李徴りちょうの声こえは叢くさむらの中なかから朗々ろうろうと響ひびいた。長短ちょうたん凡およそ三十篇さんじゅっぺん、格調高雅かくちょうこうが、意趣卓逸いしゅたくいつ、一読いちどくして作者さくしゃの才さいの非凡ひぼんを思おもわせるものばかりである。しかし、袁傪えんさんは感嘆かんたんしながらも漠然ばくぜんと次つぎのように感かんじていた。成程なるほど、作者さくしゃの素質そしつが第一流だいいちりゅうに属ぞくするものであることは疑うたがいない。しかし、このままでは、第一流だいいちりゅうの作品さくひんとなるのには、何処どこか(非常ひじょうに微妙びみょうな点てんに於おいて)欠かけるところがあるのではないか、と。
 旧詩きゅうしを吐はき終おわった李徴りちょうの声こえは、突然とつぜん調子ちょうしを変かえ、自みずからを嘲あざけるか如ごとくに言いった。
 羞はずかしいことだが、今いまでも、こんなあさましい身みと成なり果はてた今いまでも、己おれは、己おれの詩集ししゅうが長安ちょうあん風流ふうりゅう人士じんしの机つくえの上うえに置おかれている様さまを、夢ゆめに見みることがあるのだ。岩窟がんくつの中なかに横よこたわって見みる夢ゆめにだよ。嗤わらってくれ。詩人しじんに成なりそこなって虎とらになった哀あわれな男おとこを。(袁傪えんさんは昔むかしの青年せいねん李徴りちょうの自嘲癖じちょうへきを思出おもいだしながら、哀かなしく聞きいていた。)そうだ。お笑わらい草ぐさついでに、今いまの懐おもいを即席そくせきの詩しに述のべて見みようか。この虎とらの中なかに、まだ、曾かつての李徴りちょうが生いきているしるしに。
 袁傪えんさんは又また下吏かりに命めいじてこれを書かきとらせた。その詩しに言いう。

 時ときに、残月ざんげつ、光ひかり冷ひややかに、白露はくろは地ちに滋しげく、樹間じゅかんを渡わたる冷風れいふうは既すでに暁あかつきの近ちかきを告つげていた。人々ひとびとは最早もはや、事ことの奇異きいを忘わすれ、粛然しゅくぜんとして、この詩人しじんの薄倖はっこうを嘆たんじた。李徴りちょうの声こえは再ふたたび続つづける。
 何故なぜこんな運命うんめいになったか判わからぬと、先刻せんこくは言いったが、しかし、考かんがえように依よれば、思おもい当あたることが全然ぜんぜんないでもない。人間にんげんであった時とき、己おれは努つとめて人ひととの交まじわりを避さけた。人々ひとびとは己おれを倨傲きょごうだ、尊大そんだいだといった。実じつは、それが殆ほとんど羞恥心しゅうちしんに近ちかいものであることを、人々ひとびとは知しらなかった。勿論もちろん、曾かつての郷党きょうとうの鬼才きさいといわれた自分じぶんに、自尊心じそんしんが無なかったとは云いわない。しかし、それは臆病おくびょうな自尊心じそんしんとでもいうべきものであった。己おれは詩しによって名なを成なそうと思おもいながら、進すすんで師しに就ついたり、求もとめて詩友しゆうと交まじわって切磋琢磨せっさたくまに努つとめたりすることをしなかった。かといって、又また、己おれは俗物ぞくぶつの間あいだに伍ごすることも潔いさぎよしとしなかった。共ともに、我わが臆病おくびょうな自尊心じそんしんと、尊大そんだいな羞恥心しゅうちしんとの所為せいである。己おのれの珠たまに非あらざることを惧おそれるが故ゆえに、敢あえて刻苦こっくして磨みがこうともせず、又また、己おのれの珠たまなるべきを半なかば信しんずるが故ゆえに、碌々ろくろくとして瓦かわらに伍ごすることも出来できなかった。己おれは次第しだいに世よと離はなれ、人ひとと遠とおざかり、憤悶ふんもんと慙恚ざんいとによって益々ますます己おのれの内うちなる臆病おくびょうな自尊心じそんしんを飼かいふとらせる結果けっかになった。人間にんげんは誰だれでも猛獣使もうじゅうつかいであり、その猛獣もうじゅうに当あたるのが、各人かくじんの性情せいじょうだという。己おれの場合ばあい、この尊大そんだいな羞恥心しゅうちしんが猛獣もうじゅうだった。虎とらだったのだ。これが己おれを損そこない、妻子さいしを苦くるしめ、友人ゆうじんを傷きずつけ、果はては、己おれの外形がいけいをかくの如ごとく、内心ないしんにふさわしいものに変かえて了しまったのだ。今いま思おもえば、全まったく、己おれは、己おれの有もっていた僅わずかばかりの才能さいのうを空費くうひして了しまった訳わけだ。人生じんせいは何事なにごとをも為なさぬには余あまりに長ながいが、何事なにごとかを為なすには余あまりに短みじかいなどと口先くちさきばかりの警句けいくを弄ろうしながら、事実じじつは、才能さいのうの不足ふそくを暴露ばくろするかも知しれないとの卑怯ひきょうな危惧きぐと、刻苦こっくを厭いとう怠惰たいだとが己おれの凡すべてだったのだ。己おれよりも遥はるかに乏とぼしい才能さいのうでありながら、それを専一せんいつに磨みがいたがために、堂々どうどうたる詩家しかとなった者ものが幾いくらでもいるのだ。虎とらと成なり果はてた今いま、己おれは漸ようやくそれに気きが付ついた。それを思おもうと、己おれは今いまも胸むねを灼やかれるような悔くいを感かんじる。己おれには最早もはや人間にんげんとしての生活せいかつは出来できない。たとえ、今いま、己おれが頭あたまの中なかで、どんな優すぐれた詩しを作つくったにしたところで、どういう手段しゅだんで発表はっぴょうできよう。まして、己おれの頭あたまは日毎ひごとに虎とらに近ちかづいて行いく。どうすればいいのだ。己おれの空費くうひされた過去かこは? 己おれは堪たまらなくなる。そういう時とき、己おれは、向むこうの山やまの頂いただきの巖いわに上のぼり、空谷くうこくに向むかって吼ほえる。この胸むねを灼やく悲かなしみを誰だれかに訴うったえたいのだ。己おれは昨夕さくゆうも、彼処あそこで月つきに向むかって咆ほえた。誰だれかにこの苦くるしみが分わかって貰もらえないかと。しかし、獣けものどもは己おれの声こえを聞きいて、唯ただ、懼おそれ、ひれ伏ふすばかり。山やまも樹きも月つきも露つゆも、一匹いっぴきの虎とらが怒いかり狂くるって、哮たけっているとしか考かんがえない。天てんに躍おどり地ちに伏ふして嘆なげいても、誰一人だれひとり己おれの気持きもちを分わかってくれる者ものはない。ちょうど、人間にんげんだった頃ころ、己おれの傷きずつき易やすい内心ないしんを誰だれも理解りかいしてくれなかったように。己おれの毛皮けがわの濡ぬれたのは、夜露よつゆのためばかりではない。
 漸ようやく四辺あたりの暗くらさが薄うすらいで来きた。木きの間あいだを伝つたって、何処どこからか、暁角ぎょうかくが哀かなしげに響ひびき始はじめた。
 最早もはや、別わかれを告つげねばならぬ。酔よわねばならぬ時ときが、(虎とらに還かえらねばならぬ時ときが)近ちかづいたから、と、李徴りちょうの声こえが言いった。だが、お別わかれする前まえにもう一ひとつ頼たのみがある。それは我わが妻子さいしのことだ。彼等かれらは未まだ虢略かくりゃくにいる。固もとより、己おれの運命うんめいに就ついては知しる筈はずがない。君きみが南みなみから帰かえったら、己おれは既すでに死しんだと彼等かれらに告つげて貰もらえないだろうか。決けっして今日きょうのことだけは明あかさないで欲ほししい。厚あつかましいお願ねがいだが、彼等かれらの孤弱こじゃくを憐あわれんで、今後こんごとも道塗どうとに飢凍きとうすることのないように計はからって戴いただけるならば、自分じぶんにとって、恩倖おんこう、これに過すぎたるは莫ない。
 言いい終おわって、叢中そうちゅうから慟哭どうこくの声こえが聞きこえた。袁えんもまた涙なみだを泛うかべ、欣よろこんで李徴りちょうの意いに副そいたい旨むねを答こたえた。李徴りちょうの声こえはしかし忽たちまち又また先刻せんこくの自嘲的じちょうてきな調子ちょうしに戻もどって、言いった。
 本当ほんとうは、先まず、この事ことの方ほうを先さきにお願ねがいすべきだったのだ、己おれが人間にんげんだったなら。飢うえ凍こごえようとする妻子さいしのことよりも、己おのれの乏とぼしい詩業しぎょうの方ほうを気きにかけているような男おとこだから、こんな獣けものに身みを堕おとすのだ。
 そうして、附加つけくわえて言いうことに、袁傪えんさんが嶺南れいなんからの帰途きとには決けっしてこの途みちを通とおらないで欲ほしい、その時ときには自分じぶんが酔よっていて故人ともを認みとめずに襲おそいかかるかも知しれないから。又また、今いま別わかれてから、前方百歩ぜんぽうひゃっぽの所ところにある、あの丘おかに上のぼったら、此方こちらを振ふりかえって見みて貰もらいたい。自分じぶんは今いまの姿すがたをもう一度いちどお目めに掛かけよう。勇ゆうに誇ほころうとしてではない。我わが醜悪しゅうあくな姿すがたを示しめして、以もって、再ふたたび此処ここを過すぎて自分じぶんに会あおうとの気持きもちを君きみに起おこさせない為ためであると。
 袁傪えんさんは叢くさむらに向むかって、懇ねんごろに別わかれの言葉ことばを述のべ、馬うまに上のぼった。叢くさむらの中なかからは、又また、堪たえ得えざるが如ごとき悲泣ひきゅうの声こえが洩もれた。袁傪えんさんも幾度いくどか叢くさむらを振返ふりかえりながら、涙なみだの中なかに出発しゅっぱつした。
 一行いっこうが丘おかの上うえについた時とき、彼等かれらは、言いわれた通とおりに振返ふりかえって、先程さきほどの林間りんかんの草地くさちを眺ながめた。忽たちまち、一匹いっぴきの虎とらが草くさの茂しげみから道みちの上うえに躍おどり出でたのを彼等かれらは見みた。虎とらは、既すでに白しろく光ひかりを失うしなった月つきを仰あおいで、二声三声ふたこえみこえ咆哮ほうこうしたかと思おもうと、又また、元もとの叢くさむらに躍おどり入いって、再ふたたびその姿すがたを見みなかった。


自身の行き過ぎた自意識のため、虎へと変わってしまった李徴。
自意識は自分を成長させることも停滞させることもできるもの。
改めて自分自身を振り返ってみるきっかけになる作品なのかもしれませんね。
次回の短編紹介もお楽しみに。

引用元:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/index.html)
底本:「李陵・山月記」新潮文庫、新潮社
1969(昭和44)年9月20日発行
入力:平松大樹
校正:林めぐみ
1998年11月12日公開
2010年11月2日修正

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