文学作品に身を委ねて~中島敦『山月記』~

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昨今は動画サービスが主流で、文章を読む機会が少なくなっているような気がしますね。
短時間で要点が分かるのはメリットかもしれませんが、じっくりと想像や考えを巡らせながら物語を読むのも楽しいものですよ。
ひとまず30分以内で読める比較的ライトな短編小説を楽しんでみませんか。
今回は高校の教科書にも載っている、中島敦の「山月記」を読んでみましょう。

 

中国古典の新解釈を得意とした文豪

小説の題材として過去の逸話や伝説を基にすることは、手法の一つです。
その話は日本国内だけでなく、海外のものから着想を受けることも多いもの。
『中島敦(なかじまあつし)』は、中国の古典や故事に基づいた作品を多く残した小説家です。
父親が儒学者であったり、父親の転勤で5年半朝鮮半島で暮らしたこともあってか、幼少期から漢文に触れる機会が多かったことが要因の一つといわれています。
また日本の外地を訪れることも多く、植民地の状況をとらえていたため、作者が直接経験した事柄を題材にする「私小説(わたくししょうせつ)」も執筆しています。
持病に喘息を患っていたこともあり、33歳という若さでこの世を去りました。

彼の著作は数は多くないものの評価が高く、今回紹介する『山月記(さんげつき)』は、日本五大文芸誌の一つ「文學界(ぶんがくかい)」に掲載されたものです。
その評判は「森鴎外の再来」「第二の芥川龍之介」と言われるほどでした。
現在でも支持が強く、高校の国語教科書に掲載されることの多い作品です。
その他の代表作には、山月記と共に掲載された『文字禍(もじか)』や生前最後の発表作の『名人伝(めいじんでん)』、中島の没後に発表された『弟子(ていし)』『李陵(りりょう)』などがあります。

山月記は、かつて中国で繁栄した清朝の説話集『唐人説薈(とうじんせつわい)』の収録されている「人虎伝(じんこでん)」を基にアレンジされた作品です。
「李徴(りちょう)」という人物が詩人を志すも挫折し、虎へと姿を変えて友人に経緯を語るというものです。
彼がどうして虎になってしまったのか、その物語の行く末を紐解いてみましょう。

 

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山月記
中島敦

 隴西ろうさい李徴りちょう博学はくがく才穎さいえい天宝てんぽう末年まつねんわかくして虎榜こぼうつらね、ついで江南尉こうなんいせられたが、せい狷介けんかいみずかたのむところすこぶあつく、賤吏せんりあまんずるをいさぎよしとしなかった。いくばくもなくかん退しりぞいたあとは、故山こざん虢略かくりゃく帰臥きがし、ひとまじわりって、ひたすら詩作しさくふけった。下吏かりとなってながひざ俗悪ぞくあく大官たいかんまえくっするよりは、詩家しかとしての死後しご百年ひゃくねんのこそうとしたのである。しかし、文名ぶんめい容易よういあがらず、生活せいかつうてくるしくなる。李徴りちょうようや焦躁しょうそうられてた。このころからその容貌ようぼう峭刻しょうこくとなり、にくほねひいで、眼光がんこうのみいたずらに炯々けいけいとして、かつ進士しんし登第とうだいしたころ豊頬ほうきょう美少年びしょうねんおもかげは、何処どこもとめようもない。数年すうねんのち貧窮ひんきゅうえず、妻子さいし衣食いしょくのためについせつくっして、ふたたひがしおもむき、一地方官吏いちちほうかんりしょくほうずることになった。一方いっぽう、これは、おのれ詩業しぎょうなか絶望ぜつぼうしたためでもある。かつての同輩どうはいすではる高位こういすすみ、かれむかし鈍物どんぶつとして歯牙しがにもかけなかったその連中れんちゅう下命かめいはいさねばならぬことが、往年おうねん儁才しゅんさい李徴りちょう自尊心じそんしん如何いかきずつけたかは、想像そうぞうかたくない。かれ怏々おうおうとしてたのしまず、狂悖きょうはいせい愈々いよいよおさがたくなった。一年いちねんのち公用こうようたび汝水じょすいのほとりに宿やどったときつい発狂はっきょうした。ある夜半よわきゅう顔色かおいろえて寝床ねどこから起上おきあがると、なにわけわからぬことをさけびつつそのまましたにとびりて、やみなか駈出かけだした。かれ二度にどもどってなかった。附近ふきん山野さんや捜索そうさくしても、なん手掛てがかりもない。その李徴りちょうがどうなったかをものは、だれもなかった。
 翌年よくとし監察御史かんさつぎょし陳郡ちんぐん袁傪えんさんというもの勅命ちょくめいほうじて嶺南れいなん使つかいし、みち商於しょうお宿やどった。つぎあさくらうち出発しゅっぱつしようとしたところ、駅吏えきりうことに、これからさきみち人喰虎ひとくいどらゆえ旅人たびびと白昼はくちゅうでなければ、とおれない。いまはまだあさはやいから、いますこたれたがよろしいでしょうと。袁傪えんさんは、しかし、供廻ともまわりの多勢たぜいなのをたのみ、駅吏えきり言葉ことばしりぞけて、出発しゅっぱつした。残月ざんげつひかりをたよりに林中りんちゅう草地くさちとおってったときはたして一匹いっぴき猛虎もうこくさむらなかからおどた。とらは、あわや袁傪えんさんおどりかかるかとえたが、たちまひるがえして、もとくさむらかくれた。くさむらなかから人間にんげんこえで「あぶないところだった」と繰返くりかえつぶやくのがきこえた。そのこえ袁傪えんさんおぼえがあった。驚懼きょうくなかにも、かれ咄嗟とっさおもいあたって、さけんだ。「そのこえは、とも李徴子りちょうしではないか?」袁傪えんさん李徴りちょう同年どうねん進士しんしだいのぼり、友人ゆうじんすくなかった李徴りちょうにとっては、もっとしたしいともであった。温和おんわ袁傪えんさん性格せいかくが、峻峭しゅんしょう李徴りちょう性情せいじょう衝突しょうとつしなかったためであろう。
 くさむらなかからは、しばら返辞へんじかった。しのびきかとおもわれるかすかなこえ時々ときどきれるばかりである。ややあって、ひくこえこたえた。「如何いかにも自分じぶん隴西ろうさい李徴りちょうである」と。
 袁傪えんさん恐怖きょうふわすれ、うまからりてくさむらちかづき、なつかしげに久闊きゅうかつじょした。そして、何故なぜくさむらからないのかとうた。李徴りちょうこえこたえてう。自分じぶんいま異類いるいとなっている。どうして、おめおめと故人ともまえにあさましい姿すがたをさらせようか。かつまた自分じぶん姿すがたあらわせば、かならずきみ畏怖嫌厭いふけんえんじょうおこさせるにきまっているからだ。しかし、いまはからずも故人ともうことをて、愧赧きたんねんをもわすれるほどなつかしい。どうか、ほんのしばらくでいいから、醜悪しゅうあくいま外形がいけいいとわず、かつきみとも李徴りちょうであったこの自分じぶんはなしかわしてくれないだろうか。
 あとかんがえれば不思議ふしぎだったが、そのとき袁傪えんさんは、この超自然ちょうしぜん怪異かいいを、じつ素直すなお受容うけいれて、すこしもあやしもうとしなかった。かれ部下ぶかめいじて行列ぎょうれつ進行しんこうめ、自分じぶんくさむらかたわらって、えざるこえ対談たいだんした。みやこうわさ旧友きゅうゆう消息しょうそく袁傪えんさん現在げんざい地位ちい、それにたいする李徴りちょう祝辞しゅくじ青年時代せいねんじだいしたしかったもの同志どうしの、あのへだてのない語調ごちょうで、それかたられたあと袁傪えんさんは、李徴りちょうがどうしていまとなるにいたったかをたずねた。草中そうちゅうこえつぎのようにかたった。
 いまから一年程前いちねんほどまえ自分じぶんたび汝水じょすいのほとりにとまったよるのこと、一睡いっすいしてから、ふとますと、戸外こがいだれかがんでいる。こえおうじてそとると、こえやみなかからしきりに自分じぶんまねく。おぼえず、自分じぶんこえうてはしした。無我夢中むがむちゅうけてなかに、何時いつしかみち山林さんりんはいり、しかも、らぬ自分じぶん左右さゆうつかんではしっていた。なに身体中からだじゅうちからちたようなかんじで、軽々かるがる岩石がんせきえてった。くと、手先てさきひじのあたりにしょうじているらしい。すこあかるくなってから、谷川たにがわのぞんで姿すがたうつしてると、すでとらとなっていた。自分じぶんはじしんじなかった。つぎに、これはゆめちがいないとかんがえた。ゆめなかで、これはゆめだぞとっているようなゆめを、自分じぶんはそれまでにたことがあったから。どうしてもゆめでないとさとらねばならなかったとき自分じぶん茫然ぼうぜんとした。そうしておそれた。まったく、どんなことでもおこるのだとおもうて、ふかおそれた。しかし、何故なぜこんなことになったのだろう。わからぬ。まった何事なにごと我々われわれにはわからぬ。理由りゆうわからずに押付おしつけられたものを大人おとなしく受取うけとって、理由りゆうわからずにきてくのが、我々われわれきもののさだめだ。自分じぶんぐにおもうた。しかし、そのときまえ一匹いっぴきうさぎぎるのを途端とたんに、自分じぶんなか人間にんげんたちま姿すがたした。ふたた自分じぶんなか人間にんげんましたとき自分じぶんくちうさぎまみれ、あたりにはうさぎらばっていた。これがとらとしての最初さいしょ経験けいけんであった。それ以来いらいいままでにどんな所行しょぎょうをしつづけてたか、それは到底とうていかたるにしのびない。ただ、一日いちにちうちかなら数時間すうじかんは、人間にんげんこころかえってる。そういうときには、かつてのおなじく、人語じんごあやつれれば、複雑ふくざつ思考しこうにもるし、経書けいしょ章句しょうくそらんずることも出来できる。その人間にんげんこころで、とらとしてのおのれ残虐ざんぎゃくおこないのあとをおのれ運命うんめいをふりかえるときが、もっとなさけなく、おそろしく、いきどおろしい。しかし、その、人間にんげんにかえる数時間すうじかんも、るにしたがって次第しだいみじかくなってく。いままでは、どうしてとらなどになったかとあやしんでいたのに、このあいだひょいといてたら、おれはどうして以前いぜん人間にんげんだったのかとかんがえていた。これはおそしいことだ。いますこてば、おれなか人間にんげんこころは、けものとしての習慣しゅうかんなかにすっかりうもれてえてしまうだろう。ちょうど、ふる宮殿きゅうでんいしずえ次第しだい土砂どしゃ埋没まいぼつするように。そうすれば、しまいにおれ自分じぶん過去かこわすて、一匹いっぴきとらとしてくるまわり、今日きょうのようにみちきみ出会であっても故人ともみとめることなく、きみくろうてなんくいかんじないだろう。一体いったいけものでも人間にんげんでも、もとはなにほかのものだったんだろう。はじめはそれをおぼえているが、次第しだいわすれてしまい、はじめからいまかたちのものだったとおもんでいるのではないか? いや、そんなことはどうでもいい。おれなか人間にんげんこころがすっかりえてしまえば、おそらく、そのほうが、おれはしあわせになれるだろう。だのに、おれなか人間にんげんは、そのことを、このうえなくおそろしくかんじているのだ。ああ、まったく、どんなに、おそろしく、かなしく、せつなくおもっているだろう! おれ人間にんげんだった記憶きおくのなくなることを。この気持きもちだれにもわからない。だれにもらない。おれおなうえったものでなければ。ところで、そうだ。おれがすっかり人間にんげんでなくなってしままえに、ひとたのんできたいことがある。
 袁傪えんさんはじめ一行いっこうは、いきをのんで、叢中そうちゅうこえかた不思議ふしぎ聞入ききいっていた。こえつづけてう。
 ほかでもない。自分じぶん元来がんらい詩人しじんとしてつもりでいた。しかも、ごういまらざるに、この運命うんめい立至たちいたった。かつつくるところの詩数しすう百篇ひゃっぺんもとより、まだおこなわれておらぬ。遺稿いこう所在しょざい最早もはやわからなくなっていよう。ところで、そのうちいまなお記誦きしょうせるものが数十すうじゅうある。これをため伝録でんろくしていただきたいのだ。なにも、これにって一人前いちにんまえ詩人しじんづらをしたいのではない。さく巧拙こうせつらず、とにかく、さんやぶこころくるわせてまで自分じぶん生涯しょうがいそれに執着しゅうちゃくしたところのものを、一部いちぶなりとも後代こうだいつたえないでは、んでもれないのだ。
 袁傪えんさん部下ぶかめいじ、ふでって叢中そうちゅうこえしたがってきとらせた。李徴りちょうこえくさむらなかから朗々ろうろうひびいた。長短ちょうたんおよ三十篇さんじゅっぺん格調高雅かくちょうこうが意趣卓逸いしゅたくいつ一読いちどくして作者さくしゃさい非凡ひぼんおもわせるものばかりである。しかし、袁傪えんさん感嘆かんたんしながらも漠然ばくぜんつぎのようにかんじていた。成程なるほど作者さくしゃ素質そしつ第一流だいいちりゅうぞくするものであることはうたがいない。しかし、このままでは、第一流だいいちりゅう作品さくひんとなるのには、何処どこか(非常ひじょう微妙びみょうてんおいて)けるところがあるのではないか、と。
 旧詩きゅうしおわった李徴りちょうこえは、突然とつぜん調子ちょうしえ、みずからをあざけるかごとくにった。
 はずかしいことだが、いまでも、こんなあさましいてたいまでも、おれは、おれ詩集ししゅう長安ちょうあん風流ふうりゅう人士じんしつくえうえかれているさまを、ゆめることがあるのだ。岩窟がんくつなかよこたわってゆめにだよ。わらってくれ。詩人しじんりそこなってとらになったあわれなおとこを。(袁傪えんさんむかし青年せいねん李徴りちょう自嘲癖じちょうへき思出おもいだしながら、かなしくいていた。)そうだ。おわらぐさついでに、いまおもい即席そくせきべてようか。このとらなかに、まだ、かつての李徴りちょうきているしるしに。
 袁傪えんさんまた下吏かりめいじてこれをきとらせた。そのう。

 ときに、残月ざんげつひかりひややかに、白露はくろしげく、樹間じゅかんわた冷風れいふうすであかつきちかきをげていた。人々ひとびと最早もはやこと奇異きいわすれ、粛然しゅくぜんとして、この詩人しじん薄倖はっこうたんじた。李徴りちょうこえふたたつづける。
 何故なぜこんな運命うんめいになったかわからぬと、先刻せんこくったが、しかし、かんがえようにれば、おもあたることが全然ぜんぜんないでもない。人間にんげんであったときおれつとめてひととのまじわりけた。人々ひとびとおれ倨傲きょごうだ、尊大そんだいだといった。じつは、それがほとん羞恥心しゅうちしんちかいものであることを、人々ひとびとらなかった。勿論もちろんかつての郷党きょうとう鬼才きさいといわれた自分じぶんに、自尊心じそんしんかったとはわない。しかし、それは臆病おくびょう自尊心じそんしんとでもいうべきものであった。おれによってそうとおもいながら、すすんでいたり、もとめて詩友しゆうまじわって切磋琢磨せっさたくまつとめたりすることをしなかった。かといって、またおれ俗物ぞくぶつあいだすることもいさぎよしとしなかった。ともに、臆病おくびょう自尊心じそんしんと、尊大そんだい羞恥心しゅうちしんとの所為せいである。おのれたまあらざることをおそれるがゆえに、あえ刻苦こっくしてみがこうともせず、またおのれたまなるべきをなかしんずるがゆえに、碌々ろくろくとしてかわらすることも出来できなかった。おれ次第しだいはなれ、ひととおざかり、憤悶ふんもん慙恚ざんいとによって益々ますますおのれうちなる臆病おくびょう自尊心じそんしんいふとらせる結果けっかになった。人間にんげんだれでも猛獣使もうじゅうつかいであり、その猛獣もうじゅうあたるのが、各人かくじん性情せいじょうだという。おれ場合ばあい、この尊大そんだい羞恥心しゅうちしん猛獣もうじゅうだった。とらだったのだ。これがおれそこない、妻子さいしくるしめ、友人ゆうじんきずつけ、ては、おれ外形がいけいをかくのごとく、内心ないしんにふさわしいものにえてしまったのだ。いまおもえば、まったく、おれは、おれっていたわずかばかりの才能さいのう空費くうひしてしまったわけだ。人生じんせい何事なにごとをもさぬにはあまりにながいが、何事なにごとかをすにはあまりにみじかいなどと口先くちさきばかりの警句けいくろうしながら、事実じじつは、才能さいのう不足ふそく暴露ばくろするかもれないとの卑怯ひきょう危惧きぐと、刻苦こっくいと怠惰たいだとがおれすべてだったのだ。おれよりもはるかにとぼしい才能さいのうでありながら、それを専一せんいつみがいたがために、堂々どうどうたる詩家しかとなったものいくらでもいるのだ。とらてたいまおれようやくそれにいた。それをおもうと、おれいまむねかれるようなくいかんじる。おれには最早もはや人間にんげんとしての生活せいかつ出来できない。たとえ、いまおれあたまなかで、どんなすぐれたつくったにしたところで、どういう手段しゅだん発表はっぴょうできよう。まして、おれあたま日毎ひごととらちかづいてく。どうすればいいのだ。おれ空費くうひされた過去かこは? おれたまらなくなる。そういうときおれは、むこうのやまいただきいわのぼり、空谷くうこくむかってえる。このむねかなしみをだれかにうったえたいのだ。おれ昨夕さくゆうも、彼処あそこつきむかってえた。だれかにこのくるしみがわかってもらえないかと。しかし、けものどもはおれこえいて、ただおそれ、ひれすばかり。やまつきつゆも、一匹いっぴきとらいかくるって、たけっているとしかかんがえない。てんおどしてなげいても、誰一人だれひとりおれ気持きもちわかってくれるものはない。ちょうど、人間にんげんだったころおれきずつきやす内心ないしんだれ理解りかいしてくれなかったように。おれ毛皮けがわれたのは、夜露よつゆのためばかりではない。
 ようや四辺あたりくらさがうすらいでた。あいだつたって、何処どこからか、暁角ぎょうかくかなしげにひびはじめた。
 最早もはやわかれをげねばならぬ。わねばならぬときが、(とらかえらねばならぬときが)ちかづいたから、と、李徴りちょうこえった。だが、おわかれするまえにもうひとたのみがある。それは妻子さいしのことだ。彼等かれら虢略かくりゃくにいる。もとより、おれ運命うんめいいてははずがない。きみみなみからかえったら、おれすでんだと彼等かれらげてもらえないだろうか。けっして今日きょうのことだけはかさないでほししい。あつかましいおねがいだが、彼等かれら孤弱こじゃくあわれんで、今後こんごとも道塗どうと飢凍きとうすることのないようにはからっていただけるならば、自分じぶんにとって、恩倖おんこう、これにぎたるはい。
 いいおわって、叢中そうちゅうから慟哭どうこくこえきこえた。えんもまたなみだうかべ、よろこんで李徴りちょういたいむねこたえた。李徴りちょうこえはしかしたちままた先刻せんこく自嘲的じちょうてき調子ちょうしもどって、った。
 本当ほんとうは、ず、このことほうさきにおねがいすべきだったのだ、おれ人間にんげんだったなら。こごえようとする妻子さいしのことよりも、おのれとぼしい詩業しぎょうほうにかけているようなおとこだから、こんなけものおとすのだ。
 そうして、附加つけくわえてうことに、袁傪えんさん嶺南れいなんからの帰途きとにはけっしてこのみちとおらないでしい、そのときには自分じぶんっていて故人ともみとめずにおそいかかるかもれないから。またいまわかれてから、前方百歩ぜんぽうひゃっぽところにある、あのおかのぼったら、此方こちらりかえってもらいたい。自分じぶんいま姿すがたをもう一度いちどけよう。ゆうほころうとしてではない。醜悪しゅうあく姿すがたしめして、もって、ふたた此処ここぎて自分じぶんおうとの気持きもちきみおこさせないためであると。
 袁傪えんさんくさむらむかって、ねんごろにわかれの言葉ことばべ、うまのぼった。くさむらなかからは、またざるがごと悲泣ひきゅうこえれた。袁傪えんさん幾度いくどくさむら振返ふりかえりながら、なみだなか出発しゅっぱつした。
 一行いっこうおかうえについたとき彼等かれらは、われたとおりに振返ふりかえって、先程さきほど林間りんかん草地くさちながめた。たちまち、一匹いっぴきとらくさしげみからみちうえおどたのを彼等かれらた。とらは、すでしろひかりうしなったつきあおいで、二声三声ふたこえみこえ咆哮ほうこうしたかとおもうと、またもとくさむらおどって、ふたたびその姿すがたなかった。


自身の行き過ぎた自意識のため、虎へと変わってしまった李徴。
自意識は自分を成長させることも停滞させることもできるもの。
改めて自分自身を振り返ってみるきっかけになる作品なのかもしれませんね。
次回の短編紹介もお楽しみに。

引用元:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/index.html)
底本:「李陵・山月記」新潮文庫、新潮社
1969(昭和44)年9月20日発行
入力:平松大樹
校正:林めぐみ
1998年11月12日公開
2010年11月2日修正

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