文学作品に身を委ねて~小泉八雲『耳無芳一の話』~

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日本語の文章を読んで理解するとき、一般的には1分で400文字程度を読むことができるといわれています。
また、一般的に短編小説は、400文字詰めの原稿用紙の10枚から80枚程度のものとされています。
原稿用紙は空白全てを埋めて書くことは無いので、大体30分から1時間で読めるものが短編小説といえますね。
このブログテーマでは、そんな短編小説を作者のプロフィールと共に紹介しています。
今回は夏ということで、少しゾクリとする怪談話、小泉八雲の「耳無芳一の話」をご紹介します。

 

日本に帰化したギリシャ生まれの文豪

夏の暑さをしのぐために涼を取りますが、物理的ではなく精神的な涼を取る方法の一つに『怪談(かいだん)』があります。
怪談は幽霊や怪奇現象が題材になった話で、古典や歌舞伎、落語のジャンルに取り入れられています。
そんな怪談を書く作者の一人として挙げられるのが『小泉八雲(こいずみやくも)』です。

1850年、彼は当時イギリス領だったギリシャのレフカダ島に「パトリック・ラフカディオ・ハーン」として生を受けました。
20代にアメリカでジャーナリストとして活躍していましたが、1884年にニューオーリンズで開催された万国博覧会にて日本の文化に触れたり、1890年に親交のあったジャーナリストに日本の良さを聞いたりして日本に強く惹かれるようになり、日本にやってきました。
翌年1891年に島根県の松江で「小泉節子(こいずみせつこ)」と結婚し、1896年に日本に帰化した際に「小泉八雲」と名乗ったのでした。

彼は作品集の出版が多く、来日後に初めて出版した代表作は『知られぬ日本の面影(しられぬにほんのおもかげ)』という紀行本です。
怪談以外の代表作だとエッセイと小説の作品集『心(こころ)』があります。
『骨董(こっとう)』や今回紹介する作品が掲載されている『怪談(かいだん)』は、怪談話の作品集です。
その中には『ろくろ首(ろくろくび)』『雪女(ゆきおんな)』など、聞き馴染みのある妖怪のお話もあります。

さて、今回の題材の『耳無芳一の話(みみなしほういちのはなし)』「怪談」に収録された短編の一つです。
「怪談」は妻の節子から聞いた話を再編したもので、「耳無芳一の話」も元は山口県の阿弥陀寺(現在の赤間神社)のに伝わっていた説話です。
琵琶法師の盲目の青年「芳一」が巻き込まれる事件に触れていきましょう。

 

マンハッタナーズ可動式

 


THE STORY OF MIMI-NASHI-HOICHI
Lafcadio Hearn

耳無芳一の話
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)
戸川明三訳

 

 七百年ななひゃくねん以上いじょうむかしこと下ノしものせき海峡かいきょうだんうらで、平家へいけすなわち平族へいぞくと、源氏げんじすなわち源族げんぞくとのあいだの、ながあらそいの最後さいご戦闘せんとうたたかわれた。このだんうら平家へいけは、その一族いちぞく婦人ふじん子供こどもならびにその幼帝ようてい――今日こんにち安徳天皇あんとくてんのうとして記憶きおくされている――とともに、まったく滅亡めつぼうした。そうしてそのうみ浜辺はまべとは七百年間ななひゃくねんかんその怨霊おんりょうたたられていた……ほか個処かしょわたしはそこに平家蟹へいけがにという不思議ふしぎかにこと読者どくしゃ諸君しょくんかたったことがあるが、それはその背中せなか人間にんげんかおになっており、平家へいけ武者むしゃたましいであるとわれているのである。しかしその海岸かいがん一帯いったいには、たくさん不思議ふしぎこと見聞みききされる。闇夜やみよには幾千いくせんとなき幽霊火ゆうれいびが、みずうちぎわにふわふわさすらうか、もしくはなみうえにちらちらぶ――すなわち漁夫ぎょふんで鬼火おにびすなわちしょうする青白あおじろひかりである。そしてかぜときにはおおきなさけごえが、いくさ叫喚きょうかんのように、うみからきこえてる。
 平家へいけひとたち以前いぜんいまよりもはるかに焦慮もがいていた。よるふねのほとりにあらわれ、それをしずめようとし、また水泳すいえいするひとをたえずけていては、それをきずりもうとするのである。これ死者ししゃなぐさめるために建立こんりゅうされたのが、すなわち赤間ヶ関あかまがせき仏教ぶっきょう御寺おてらなる阿彌陀寺あみだじであったが、その墓地ぼちもまた、それにせっして海岸かいがんもうけられた。そしてその墓地ぼちうちには入水じゅすいされた皇帝こうていと、その歴歴れきれき臣下しんかとのきざみつけた幾箇いくつかの石碑せきひてられ、かつそれ人々ひとびとれいのために、仏教ぶっきょう法会ほうえがそこで整然ちゃんおこなわれていたのである。このてら建立こんりゅうされ、そのはか出来できてから以後いご平家へいけひとたち以前いぜんよりもわざわいをすることすくなくなった。しかしそれでもなおつづいておりおり、あやしいことをするのではあった――彼等かれらまった平和へいわていなかったこと証拠しょうことして。

 幾百年いくひゃくねん以前いぜんこと、この赤間ヶ関あかまがせき芳一ほういちという盲人もうじんんでいたが、このおとこ吟誦ぎんしょうして、琵琶びわそうするにみょうているのできこえていた。子供こどもときから吟誦ぎんしょうし、かつ弾奏だんそうする訓練くんれんけていたのであるが、まだ少年しょうねんころから、師匠ししょうたち凌駕りょうがしていた。本職ほんしょく琵琶法師びわほうしとしてこのおとこもに、平家へいけ及びおよび源氏げんじ物語ものがたり吟誦ぎんしょうするので有名ゆうめいになった、そしてだんうらいくさうたうたうと鬼神おにがみすらもなみだをとどめなかったということである。

 芳一ほういちには出世しゅっせ首途かどでさい、はなはだまずしかったが、しかしたすけてくれる深切しんせつともがあった。すなわち阿彌陀寺あみだじ住職じゅうしょくというのが、詩歌しいか音楽おんがくきであったので、たびたび芳一ほういちてらしょうじて弾奏だんそうさせまた、吟誦ぎんしょうさしたのであった。あとになり住職じゅうしょくはこの少年しょうねんおどろくべき技倆ぎりょうにひどく感心かんしんして、芳一ほういちてらをば自分じぶんいえとするようにとしたのであるが、芳一ほういち感謝かんしゃしてこのもう受納じゅのうした。それで芳一ほういち寺院じいん一室いっしつあたえられ、食事しょくじ宿泊しゅくはくとにたいする返礼へんれいとして、べつようのないばんには、琵琶びわそうして、住職じゅうしょくよろこばすということだけが注文ちゅうもんされていた。

 あるなつよること住職じゅうしょくんだ檀家だんかいえで、仏教ぶっきょう法会ほうえいとなむようにばれたので、芳一ほういちだけをてらのこして納所なっしょれてった。それはあつばんであったので、盲人もうじん芳一ほういちすずもうとおもって、寝間ねままえ縁側えんがわていた。この縁側えんがわ阿彌陀寺あみだじ裏手うらてちいさなにわ見下みくだしているのであった。芳一ほういち住職じゅうしょく帰来きらいち、琵琶びわ練習れんしゅうしながら自分じぶん孤独こどくなぐさめていた。夜半やはんぎたが、住職じゅうしょくかえってなかった。しかし空気くうきはまだなかなかあつくて、うちではくつろぐわけにはいかない、それで芳一ほういちそとた。やがて、裏門うらもんからちかよって跫音あしおときこえた。だれれかがにわ横断おうだんして、縁側えんがわところすすみより、芳一ほういちのすぐまえどまった――が、それは住職じゅうしょくではなかった。底力そこぢからのあるこえ盲人もうじんんだ――けに、無作法ぶさほうに、ちょうど、さむらい下下したじたびつけるようなふうに――
芳一ほういち!』
 芳一ほういちはあまりに吃驚びっくりしてしばらくは返事へんじなかった、すると、そのこえきびしい命令めいれいくだすような調子ちょうしばわった――
芳一ほういち!』
『はい!』と威嚇いかくするこえちぢあがって盲人もうじん返事へんじをした――『わたし盲目もうもく御座ございます!――どなたがおびになるのかわかりません!』
 見知みしらぬひと言葉ことばをやわらげてした、『なにわがることはない、拙者せっしゃはこのてら近処きんじょるもので、おまえとこようつたえるようにいつかってたものだ。拙者せっしゃいま殿様とのさまうのは、たいしたたか身分みぶんかたで、いま、たくさん立派りっぱともをつれてこの赤間ヶ関あかまがせき滞在たいざいなされているが、だんうら戦場せんじょう御覧ごらんになりたいというので、今日きょう、そこを御見物ごけんぶつになったのだ。ところで、おまえがその戦争いくさはなしかたるのが、上手じょうずだということをおきになり、おまえのその演奏えんそうをおきになりたいとの御所望ごしょもうである、であるから、琵琶びわをもち即刻そっこく拙者せっしゃ一緒いっしょとうと方方かたがたけておられるいえるがい』
 当時とうじさむらい命令めいれいえば容易よういに、そむくわけにはいかなかった。で、芳一ほういち草履ぞうりをはき琵琶びわをもち、らぬひと一緒いっしょったが、そのひと巧者こうしゃ芳一ほういち案内あんないしてったけれども、芳一ほういちはよほどいそあしあるかなければならなかった。また手引てびきをしたそのてつのようであった。武者むしゃあしどりのカタカタいうおとはやがて、そのひとがすっかり甲冑かっちゅうけていることしめした――さだめしなに殿居とのい衛士えじででもあろうか、芳一ほういち最初さいしょおどろきはって、いま自分じぶん幸運こううんかんがはじめた――何故なぜかというに、この家来けらいひとの「たいしたたか身分みぶんひと」とったことおもし、自分じぶん吟誦ぎんしょうきたいと所望しょもうされた殿様とのさまは、第一流だいいちりゅう大名だいみょうほかならぬとかんがえたからである。やがてさむらいどまった。芳一ほういちおおきな門口かどぐちたっしたのだとさとった――ところで、自分じぶんまちのそのへんには、阿彌陀寺あみだじ大門だいもんそとにしては、べつおおきなもんがあったとはおもわなかったので不思議ふしぎおもった。「開門かいもん!」とさむらいばわった――するとかんぬきおとがして、二人ふたり這入はいってった。二人ふたりひろにわふたたびある入口いりぐちまえとまった。そこでこの武士ぶしおおきなこえで「これだれれかうちのもの! 芳一ほういちれてた」とさけんだ。するといそいである跫音あしおとふすまのあくおと雨戸あまどひらおとおんなたちはなごえなどがきこえてた。おんなたち言葉ことばからさっして、芳一ほういちはそれが高貴こうきいえ召使めしつかいであることった。しかしどういうところ自分じぶんれられてたのか見当けんとうかなかった。が、それをとにかくかんがえているもなかった。かれて幾箇いくつかの石段いしだんのぼると、その一番いちばん最後しまいだんうえで、草履ぞうりをぬげとわれ、それからおんなみちびかれて、んだ板鋪いたじきのはてしのない区域くいきぎ、おぼれないほどたくさんなはしらかどをまわ(※1)り、おどろくべきほどひろたたみいたゆかとおり――おおきな部屋へや真中まんなか案内あんないされた。そこに大勢おおぜいひとつどっていたと芳一ほういちおもった。きぬのすれるおともりおとのようであった。それからまたんだかガヤガヤっている大勢おおぜいこえきこえた――低音ていおんはなしている。そしてその言葉ことば宮中きゅうちゅう言葉ことばであった。
 芳一ほういち気楽きらくにしているようにとわれ、座蒲団ざぶとん自分じぶんのためにそなえられているのをった。それでそのうえって、琵琶びわ調子ちょうしわせると、おんなこえが――そのおんな芳一ほういち老女ろうじょすなわちおんなのする用向ようむきをしま女中頭じょちゅうがしらだとはんじた――芳一ほういちむかってこういかけた――
『ただいま琵琶びわわせて、平家へいけ物語ものがたりかたっていただきたいという御所望ごしょもう御座ございます』
 さてそれをすっかりかたるのには幾晩いくばんもかかる、それゆえ芳一ほういちすすんでこうたずねた――
物語ものがたり全部ぜんぶは、ちょっとはかたられませぬが、どの条下くさりかたれという殿様とのさま御所望ごしょもう御座ございますか?』
 おんなこえこたえた――
だんうらいくさはなしをおかたりなされ――その一条下ひとくさり一番いちばんあわれのふかところ御座ございますから』
 芳一ほういちこえげ、はげしい海戦かいせんうたをうたった――琵琶びわもって、あるいはかいき、ふねすすめるおとさしたり、はッしとおと人々ひとびとさけこえ足踏あしぶみのおとかぶとにあたるひびき、うみおちいたれたものおとなどを、おどろくばかりにさしたりして。その演奏えんそう途切とぎ途切とぎれに、芳一ほういち自分じぶん左右さゆうに、賞讃しょうさんささやこえいた、――「なんといううま琵琶びわだろう!」――「自分じぶんたち田舎いなかではこんな琵琶びわいたことがない!」――「国中くにじゅう芳一ほういちのようなうたはまたとあるまい!」するといっそう勇気ゆうきて、芳一ほういちはますますうまくきかつうたった。そしておどろきのため周囲しゅういもりとしてしまった。しかしおわりに美人びじん弱者じゃくしゃ運命うんめい――婦人ふじん子供こどもとのあわれな最期さいご――双腕そうわん幼帝ようていいだたてまつった二位にいあま入水じゅすいかたったときには――聴者ちょうしゃはことごとくみな一様いちように、ながながおののふるえる苦悶くもんこえをあげ、それからあとというもの一同いちどうこえをあげ、みだしてかなしんだので、芳一ほういち自分じぶんこさした悲痛ひつう強烈きょうれつなのにおどろかされたくらいであった。しばらくのあいだはむせびかなしむこえつづいた。しかし、おもむろに哀哭あいこくこええて、またそれにつづいた非常ひじょうしずかさのうちに、芳一ほういち老女ろうじょであるとかんがえたおんなこえいた。
 そのおんなはこうった――
私共わたくしども貴方あなた琵琶びわ名人めいじんであって、またうたほうでもかたならべるもののないことおよんでいたことでは御座ございますが、貴方あなた今晩こんばん御聴おきかせくだすったようなあんなお腕前うでまえをおちになろうとはおもいもいたしませんでした。殿様とのさまには大層たいそう御気おきし、貴方あなた十分じゅうぶん御礼おれいくださる御考おかんがえであるよし御伝おつたもうすようにとのこと御座ございます。が、これからあと六日むいかあいだ毎晩まいばん一度いちどずつ殿様とのさま御前ごぜん演奏わざをおきにれるようとの御意ぎょい御座ございます――そのうえ殿様とのさまにはたぶん御帰おかえりのたびのぼられることぞんじます。それゆえ明晩みょうばんおな時刻じこくに、ここへ御出向おでむきなされませ。今夜こんや貴方あなた御案内ごあんないいたしたあの家来けらいが、また、御迎おむかえにまいるで御座ございましょう……それからもひと貴方あなた御伝おつたえするようにもうしつけられたこと御座ございます。それは殿様とのさまがこの赤間ヶ関あかまがせき滞在たいざいちゅう貴方あなたがこの御殿ごてん御上おあがりになることだれれにも御話おはなしにならぬようとの御所望ごしょもう御座ございます。殿様とのさまには御忍おしのびの御旅行ごりょこうゆえ、かようなことはいっさい口外こうがいいたさぬようにとの上意じょういによりますので。……ただいま御自由ごじゆう御坊ごぼう御帰おかえりあそばせ』

 芳一ほういち感謝かんしゃ十分じゅうぶんべると、おんなられてこのいえ入口いりぐちまで、そこにはまえ自分じぶん案内あんないしてくれたおな家来けらいっていて、いえにつれられてった。家来けらいてらうら縁側えんがわところまで芳一ほういちれてて、そこでわかれをげてった。

 芳一ほういちもどったのはやがて夜明よあけであったが、そのてらをあけたことには、だれれもかなかった――住職じゅうしょくはよほどおそかえってたので、芳一ほういちているものとおもったのであった。ひるなか芳一ほういちすこ休息きゅうそくすること出来できた。そしてその不思議ふしぎ事件じけんについては一言ひとこともしなかった。翌日よくじつ夜中よなかさむらいがまた芳一ほういちむかえにて、かの高貴こうきあつまりにれてったが、そこで芳一ほういちはまた吟誦ぎんしょうし、ぜんかい演奏えんそうたそのおな成功せいこうはくした。しかるにこの二度目にどめ伺候中しこうちゅう芳一ほういちてらをあけていること偶然ぐうぜんつけられた。それであさもどってから芳一ほういち住職じゅうしょくまえびつけられた。住職じゅうしょく言葉ことばやわらかにしかるような調子ちょうしでこうった、――
芳一ほういち私共わたくしどもはおまえうえ大変たいへん心配しんぱいしていたのだ。えないのに、一人ひとりで、あんなにおそかけては険難けんのんだ。何故なぜ私共わたくしどもにことわらずにったのだ。そうすれば下男げなんともをさしたものに、それからまたどこへっていたのかな』
 芳一ほういちいのが(※2)れるように返事へんじをした――
和尚おしょうさま御免下ごめんくださいまし! 少々しょうしょう私用しよう御座ございまして、ほか時刻じこくにそのこと処置しょちすること出来できませんでしたので』
 住職じゅうしょく芳一ほういちだまっているので、心配しんぱいしたというよりむしろおどろいた。それが不自然ふしぜんことであり、なにかよくないことでもあるのではなかろうかとかんじたのであった。住職じゅうしょくはこの盲人もうじん少年しょうねんがあるいは悪魔あくまにつかれたか、あるいはだまされたのであろうと心配しんぱいした。で、それ以上いじょうなにたずねなかったが、ひそかにてら下男げなんむねをふくめて、芳一ほういち行動こうどうをつけており、くらくなってから、またてらくようなことがあったなら、そのあとけるようにといつけた。

 すぐその翌晩よくばん芳一ほういちてらしてくのをたので、下男げなんたちただちに提灯ちょうちんをともし、そのあとけた。しかるにそれがあめばん非常ひじょうくらかったため、寺男てらおとこ道路どうろないうちに、芳一ほういち姿すがたせてしまった。まさしく芳一ほういち非常ひじょう早足はやあしあるいたのだ――その盲目もうもくことかんがえてみるとそれは不思議ふしぎことだ、何故なぜかとうにみちるかったのであるから。男達おとこたちいそいでまちとおってき、芳一ほういちがいつもきつけているいえき、たずねてみたが、だれれも芳一ほういちことっているものはなかった。しまいに、男達おとこたち浜辺はまべほうみちからてらかえってると、阿彌陀寺あみだじ墓地ぼちなかに、さかんに琵琶びわだんじられているおときこえるので、一同いちどう吃驚びっくりした。ふたみっつの鬼火おにび――くらばん通例つうれいそこにちらちらえるような――のそと、そちらのほう真暗まっくらであった。しかし、男達おとこたちはすぐに墓地ぼちへといそいでった、そして提灯ちょうちんかりで、一同いちどうはそこに芳一ほういちつけた――あめなかに、安徳あんとく天皇てんのう記念きねんはかまえひとすわって、琵琶びわをならし、だんうら合戦かっせんきょくたかしょうして。その背後うしろ周囲まわりと、それからいたところたくさんのはかうえ死者ししゃ霊火れいか蝋燭ろうそくのようにえていた。いまだかつてひとにこれほどの鬼火おにびえたことはなかった……
芳一ほういちさん!――芳一ほういちさん!』下男げなんたちこえをかけた『貴方あなたなにかにばかされているのだ!……芳一ほういちさん!』
 しかし盲人もうじんにはきこえないらしい。ちからめて芳一ほういち琵琶びわ錚錚そうそうかつかつ(※3)とらしていた――ますますはげしくだんうら合戦かっせんきょくしょうした。男達おとこたち芳一ほういちをつかまえ――みみくちをつけてこえをかけた――
芳一ほういちさん!――芳一ほういちさん!――すぐわたしたち一緒いっしょうちにおかえんなさい!』
 しかるように芳一ほういち男達おとこたちむかってった――
『この高貴こうき方方かたがたまえで、そんなふうわたし邪魔じゃまをするとは容赦ようしゃはならんぞ』
 事柄ことがら無気味ぶきみなにかかわらず、これには下男げなんたちわらわずにはいられなかった。芳一ほういちなにかにばかされていたのはたしかなので、一同いちどう芳一ほういちつかまえ、その身体からだをもちげてたせ、ちからまかせにいそいでてらへつれかえった――そこで住職じゅうしょく命令めいれいで、芳一ほういちれた著物きものぎ、あたらしい著物きものせられ、べものや、みものをあたえられた。そのうえ住職じゅうしょく芳一ほういちのこのおどろくべき行為こういをぜひ十分じゅうぶんかすことせまった。
 芳一ほういちながあいだそれをかたるに躊躇ちゅうちょしていた。しかし、つい自分じぶん行為こうい実際じっさい深切しんせつ住職じゅうしょくおびやかしかつおこらしたことって、自分じぶん緘黙かんもくやぶろうと決心けっしんし、最初さいしょさむらいとき以来いらい、あったことをいっさい物語ものがたった。
 すると住職じゅうしょくった……
可哀かわいそうなおとこだ。芳一ほういち、おまえいま大変たいへんあやういぞ! もっとまえにおまえがこのことをすっかりわたしはなさなかったのはいかにも不幸ふこうことであった! おまえ音楽おんがく妙技みょうぎがまったく不思議ふしぎ難儀なんぎにおまえんだのだ。おまえけっしてひといえおとずれているのではなくて、墓地ぼちなか平家へいけはかあいだで、よるすごしていたのだということに、いまはもう心付こころづかなくてはいけない――今夜こんや下男げなんたちはおまえあめなかすわっているのをたが、それは安徳あんとく天皇てんのう記念きねんはかまえであった。おまえ想像そうぞうしていたことはみな幻影まぼろしだ――んだひとおとずれてことほかは。で、一度いちどんだひとこといたうえは、をそのるがままにまかしたというものだ。もしこれまであったことうえに、またも、そのこといたなら、おまえはそのひとたちきにされることだろう。しかし、いずれにしても早晩そうばん、おまえころされる……ところで、今夜こんやわたしはおまえ一緒いっしょにいるわけにいかぬ。わたしはまたひと法会ほうえをするようにばれている。が、まえにおまえ身体からだまもるために、その身体からだ経文きょうもんいてかなければなるまい』

 日没前にちぼつまえ住職じゅうしょく納所なっしょとで芳一ほういちはだかにし、ふでもっ二人ふたりして芳一ほういちの、むねあたまかおくび手足てあし――身体中からだじゅうどことわず、あしうらにさえも――般若心経はんにゃしんぎょうというおきょう文句もんくきつけた。それがむと、住職じゅうしょく芳一ほういちにこういつけた。――
今夜こんやわたしったらすぐに、おまえ縁側えんがわすわって、っていなさい。するとむかえがる。が、どんなことがあっても、返事へんじをしたり、うごいてはならぬ。くちかずしずかにすわっていなさい――禅定ぜんじょうはいっているようにして。もしうごいたり、すこしでもこえてたりすると、おまえりさいなまれてしまう。わがらず、たすけをんだりしようとおもってはいかぬ。――たすけをんだところでたすかるわけのものではないから。わたしとおりに間違まちがいなくしておれば、危険きけんとおぎて、もうわいことはなくなる』

 れてから、住職じゅうしょく納所なっしょとはった、芳一ほういちいつけられたとお縁側えんがわめた。自分じぶんそば板鋪いたじきうえ琵琶びわき、入禅にゅうぜん姿勢しせいをとり、じっとしずかにしていた――注意ちゅういしてせきもせかず、きこえるようにはいきもせずに。いく時間じかんもこうしてっていた。
 すると道路どうろほうから跫音あしおとのやってるのがきこえた。跫音あしおともんとおぎ、にわ横断よこぎり、縁側えんがわ近寄ちかよってとまった――すぐ芳一ほういち正面しょうめんに。
芳一ほういち!』と底力そこぢからのあるこえんだ。が盲人もうじんいきらして、うごかずにすわっていた。
芳一ほういち!』とふたたおそろしいこえばわった。ついで三度さんど――兇猛きょうもうこえで――
芳一ほういち
 芳一ほういちいしのようにしずかにしていた――すると苦情くじょううようなこえで――
返事へんじがない!――これはいかん!……やつ、どこにるのかてやらなけれやア』……
 縁側えんがわあがもくるしい跫音あしおとがした。あしはしずしずと近寄ちかよって――芳一ほういちそばとまった。それからしばらくのあいだ――そのあいだ芳一ほういち全身ぜんしんむね鼓動こどうするにつれてふるえるのをかんじた――まったく森閑しんかんとしてしまった。
 つい自分じぶんのすぐそばであらあらしいこえがこうした――『ここに琵琶びわがある、だが、琵琶びわっては――ただそのみみふたつあるばかりだ!……道理どうり返事へんじをしないはずだ、返事へんじをするくちがないのだ――両耳りょうみみそと琵琶びわ身体からだなにのこっていない……よし殿様とのさまへこのみみってこう――出来できかぎ殿様とのさまおおせられたとおりにした証拠しょうこに……』
 その瞬時しゅんじ芳一ほういちてつのようなゆび両耳りょうみみつかまれ、きちぎられたのをかんじた! いたさは非常ひじょうであったが、それでもこえはあげなかった。もくるしい足踏あしぶみは縁側えんがわとおって退しりぞいてき――にわり――道路どうろほうとおってき――えてしまった。芳一ほういちあたま両側りょうがわからあたたかいもののしたたってるのをかんじた。が、あえてりょうげることもしなかった……

 まえ住職じゅうしょくかえってた。いそいですぐにうら縁側えんがわところくと、んだかねばねばしたものをみつけてすべり、そして慄然ぞっとしてこえをあげた――それは提灯ちょうちんひかりで、そのねばねばしたもののであったことたからである。しかし、芳一ほういち入禅にゅうぜん姿勢しせいでそこにすわっているのを住職じゅうしょくみとめた――きずからはなおをだらだらながして。
可哀かわいそうに芳一ほういち!』とおどろいた住職じゅうしょくこえてた――『これはどうしたことか……おまえ怪我けがをしたのか』……
 住職じゅうしょくこえいて盲人もうじん安心あんしんした。芳一ほういちきゅうした。そして、なみだながらにそのよる事件じけん物語ものがたった。『可哀かわいそうに、可哀かわいそうに芳一ほういち!』と住職じゅうしょくさけんだ――『みなわたし手落ておちだ!――ひどわたし手落ておちだ!……おまえ身体中からだじゅうくまなく経文きょうもんいたに――みみだけがのこっていた! そこへ経文きょうもんこと納所なっしょまかしたのだ。ところで納所なっしょ相違そういなくそれをいたか、それをたしかめておかなかったのは、じゅうじゅうわたしわるるかった!……いや、どうもそれはもういたかたのないことだ――出来できるだけはやく、そのきずなおすより仕方しかたがない……芳一ほういち、まアよろこべ!――危険きけんいままったくんだ。もう二度にどとあんな来客らいきゃくわずらわされることはない』

 深切しんせつ医者いしゃたすけで、芳一ほういち怪我けがはほどなくなおった。この不思議ふしぎ事件じけんはなし諸方しょほうひろがり、たちまち芳一ほういち有名ゆうめいになった。とうと人々ひとびと大勢おおぜい赤間ヶ関あかまがせきって、芳一ほういち吟誦ぎんしょういた。そして芳一ほういち多額たがく金員きんいんおくものもらった――それで芳一ほういち金持かねもちになった……しかしこの事件じけんのあったときから、このおとこ耳無芳一みみなしほういちというばかりでられていた。

※1 「廴+囘」、第4水準2-12-11
※2 「しんにゅう+官」、第3水準1-92-56
※3 「口+戛」、第3水準1-15-17


理不尽な恐怖を与えてくる怪談話は、ゾワゾワとした感覚がありながらもどこかクセになってしまいますね。
これからの暑くなる時期に積極的に読んでいきたいジャンルです。
次回の短編紹介もお楽しみに。

引用元:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/index.html)
底本:「小泉八雲全集第八卷家庭版」第一書房
1937(昭和12)年1月15日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:京都大学電子テクスト研究会入力班(訓練者一同)
校正:京都大学電子テクスト研究会校正班(大久保ゆう)
2004年3月29日作成

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