文学作品に身を委ねて~梶井基次郎『檸檬』~

メロディスムーズプラスマンハッタナーズ 白のネコラージュ
マンハッタナーズ可動式

あまり腰を据えずに読める短編小説は、隙間時間に読めるので手軽ですね。
起承転結がまとまっているので、深く読み解く時間が無くても良いのも嬉しいところです。
このブログテーマでは、30分以内で読める短編小説をご紹介しています。
今回は、梶井基次郎の『檸檬』をご紹介します。

 

結核を患いながらも執筆を続けた梶井基次郎

現在に残る作品は素晴らしい物ばかりですが、必ずしも執筆された時に評価されているわけではありません。
時には亡くなる直前、時には亡くなってから評価される作品も沢山あります。
今回の作家『梶井基次郎(かじいもとじろう)』も亡くなる直前に評価を受けた作家の一人です。

彼が作品を世に出したのは、23歳頃に同じ高校・大学の同級生と発刊した同人誌『青空(あおぞら)』です。
アマチュア作家の雑誌として28号まで発刊され、彼の代表作である『檸檬(れもん)』『城のある町にて(しろのあるまちにて)』が収録されました。
結核を患っている主人公の心象を描いた『冬の日(ふゆのひ)』や部屋に居た蠅の観察から運命を認識する『冬の蝿(ふゆのはえ)』なども評価の高い作品です。

今回の小説「檸檬」は、果物屋で買った檸檬から空想を巡らせる物語。
主人公の心象や感じたことが繊細に表現され、読んでいるこちらもその気持ちをどこか共感できるような作品です。
その詩的な世界観を皆さんも楽しんでみてください。

 

マンハッタナーズ可動式

 


檸檬
梶井基次郎

 

 えたいのれない不吉ふきつかたまりわたしこころ始終しじゅうおさえつけていた。焦躁しょうそうおうか、嫌悪けんおおうか――さけんだあとに宿酔ふつかよいがあるように、さけ毎日まいにちんでいると宿酔ふつかよい相当そうとうした時期じきがやってる。それがたのだ。これはちょっといけなかった。結果けっかした肺尖はいせんカタルや神経衰弱しんけいすいじゃくがいけないのではない。またくような借金しゃっきんなどがいけないのではない。いけないのはその不吉ふきつかたまりだ。以前いぜんわたしよろこばせたどんなうつくしい音楽おんがくも、どんなうつくしい一節いっせつ辛抱しんぼうがならなくなった。蓄音器ちくおんきかせてもらいにわざわざかけてっても、最初さいしょ二三にさん小節しょうせつ不意ふいがってしまいたくなる。なにかがわたし居堪いたたまらずさせるのだ。それで始終しじゅうわたしまちからまち浮浪ふろうつづけていた。
 何故なぜだかそのころわたしすぼらしくてうつくしいものにつよくひきつけられたのをおぼえている。風景ふうけいにしてもこわれかかったまちだとか、そのまちにしてもよそよそしい表通おもてどおりよりもどこかしたしみのある、きたな洗濯物せんたくものしてあったりがらくた、、、、ころがしてあったりむさくるしい部屋へやのぞいていたりする裏通うらどおりがきであった。あめかぜむしばんでやがてつちかえってしまう、とったようなおもむきのあるまちで、土塀どべいくずれていたり家並いえなみかたむきかかっていたり――いきおいのいいのは植物しょくぶつだけで、ときとするとびっくりさせるような向日葵ひまわりがあったりカンナがいていたりする。
 ときどきわたしはそんなみちあるきながら、ふと、そこが京都きょうとではなくて京都きょうとから何百里なんびゃくりはなれた仙台せんだいとか長崎ながさきとか――そのようないちいま自分じぶんているのだ――という錯覚さっかくこそうとつとめる。わたしは、できることなら京都きょうとからして誰一人だれひとりらないようないちへ行ってしまいたかった。第一だいいち安静あんせい。がらんとした旅館りょかん一室いっしつ清浄せいじょう蒲団ふとんにおいのいい蚊帳かやのりのよくきいた浴衣ゆかた。そこで一月ひとつきほどなにおもわずよこになりたい。ねがわくはここがいつのにかそのいちになっているのだったら。――錯覚さっかくがようやく成功せいこうしはじめるとわたしはそれからそれへ想像そうぞう絵具えのぐりつけてゆく。なんのことはない、わたし錯覚さっかくこわれかかったまちとの二重写にじゅううつしである。そしてわたしはそのなか現実げんじつわたし自身じしん見失みうしなうのをたのしんだ。
 わたしはまたあの花火はなびというやつがきになった。花火はなびそのものは第二段だいにだんとして、あのやすっぽい絵具えのぐあかむらさきあおや、さまざまの縞模様しまもようった花火はなびたば中山寺なかやまでら星下ほしくだり、花合戦はながっせんれすすき。それから鼠花火ねずみはなびというのはひとつずつになっていてはこめてある。そんなものがへんわたしこころそそった。
 それからまた、びいどろ、、、、といういろ硝子ガラスたいはなしてあるおはじきがきになったし、南京玉なんきんだまきになった。またそれをめてみるのがわたしにとってなんともいえない享楽きょうらくだったのだ。あのびいどろ、、、、あじほどかすかなすずしいあじがあるものか。わたしおさなときよくそれをくちれては父母ふぼしかられたものだが、その幼時ようじのあまい記憶きおくおおきくなってれたわたしよみがえってくるせいだろうか、まったくあのあじにはかすかなさわやかななんとなくったような味覚みかくただよってる。
 さっしはつくだろうがわたしにはまるでかねがなかった。とはえそんなものをすこしでもこころうごきかけたときわたし自身じしんなぐさめるためには贅沢ぜいたくということが必要ひつようであった。二銭にせん三銭さんせんのもの――とって贅沢ぜいたくなもの。うつくしいもの――とって無気力むきりょくわたし触角しょっかくにむしろびてるもの。――そうったものが自然しぜんわたしなぐさめるのだ。
 生活せいかつがまだむしばまれていなかった以前いぜんわたしきであったところは、たとえば丸善まるぜんであった。あかのオードコロンやオードキニン。洒落しゃれ切子細工きりこざいく典雅てんがなロココ趣味しゅみ浮模様うきもようった琥珀色こはくいろ翡翠色ひすいいろ香水こうすいびん煙管きせる小刀こがたな石鹸せっけん煙草たばこわたしはそんなものをるのに小一時間こいちじかんついやすことがあった。そして結局けっきょく一等いっとういい鉛筆えんぴつ一本いっぽんうくらいの贅沢ぜいたくをするのだった。しかしここももうそのころわたしにとってはおもくるしい場所ばしょぎなかった。書籍しょせき学生がくせい勘定かんじょうだい、これらはみな借金取しゃっきんとりの亡霊ぼうれいのようにわたしにはえるのだった。
 あるあさ――そのころわたしこう友達ともだちからおつ友達ともだちへというふうに友達ともだち下宿げしゅく転々てんてんとしてらしていたのだが――友達ともだち学校がっこうてしまったあとの空虚くうきょ空気くうきのなかにぽつねんと一人ひとりのこされた。わたしはまたそこから彷徨さまよなければならなかった。なにかがわたしいたてる。そしてまちからまちへ、さきったような裏通うらどおりをあるいたり、駄菓子屋だがしやまえまったり、乾物かんぶつ乾蝦ほしえび棒鱈ぼうだら湯葉ゆばながめたり、とうとうわたし二条にじょうほう寺町てらまちさがり、そこの果物くだものあしめた。ここでちょっとその果物くだもの紹介しょうかいしたいのだが、その果物くだものわたしっていた範囲はんいもっときなみせであった。そこはけっして立派りっぱみせではなかったのだが、果物くだもの固有こゆううつくしさがもっと露骨ろこつかんぜられた。果物くだものはかなり勾配こうばいきゅうだいうえならべてあって、そのだいというのもふるびたくろ漆塗うるしぬりのいただったようにおもえる。なにはなやかなうつくしい音楽おんがく快速調アッレグロながれが、ひといししたというゴルゴンの鬼面きめん――てきなものをしつけられて、あんな色彩しきさいやあんなヴォリウムにかたまったというふうに果物くだものならんでいる。青物あおものもやはりおくへゆけばゆくほど堆高うずたかまれている。――実際じっさいあそこの人参にんじんうつくしさなどは素晴すばらしかった。それからみずけてあるまめだとか慈姑くわいだとか。
 またそこのいえうつくしいのはよるだった。寺町通てらまちどおりはいったいににぎやかなとおりで――とってかんじは東京とうきょう大阪おおさかよりはずっとんでいるが――飾窓かざりまどひかりがおびただしく街路がいろながている。それがどうしたわけかその店頭てんとう周囲しゅういだけがみょうくらいのだ。もともと片方かたほうくら二条通にじょうどおりせっしている街角まちかどになっているので、くらいのは当然とうぜんであったが、その隣家りんか寺町通てらまちどおりにあるいえにもかかわらずくらかったのが瞭然はっきりしない。しかしそのいえくらくなかったら、あんなにもわたし誘惑ゆうわくするにはいたらなかったとおもう。もうひとつはそのいえしたひさしなのだが、そのひさし眼深まぶかかぶった帽子ぼうしひさしのように――これは形容けいようというよりも、「おや、あそこのみせ帽子ぼうしひさしをやけにげているぞ」とおもわせるほどなので、ひさしうえはこれも真暗まっくらなのだ。そう周囲しゅうい真暗まっくらなため、店頭てんとうけられたいくつもの電燈でんとう驟雨しゅううのようにびせかける絢爛けんらんは、周囲しゅうい何者なにものにもうばわれることなく、ほしいままにもうつくしいながめがらしされているのだ。はだか電燈でんとう細長ほそなが螺旋らせんぼうをきりきりなかんでくる往来おうらいって、また近所きんじょにある鎰屋かぎや二階にかい硝子窓ガラスまどをすかしてながめたこの果物店くだものてんながめほど、そのときどきのわたしきょうがらせたものは寺町てらまちなかでもまれだった。
 そのわたしはいつになくそのみせ買物かいものをした。というのはそのみせにはめずらしい檸檬れもんていたのだ。檸檬れもんなどごくありふれている。がそのみせというのもすぼらしくはないまでもただあたりまえの八百屋やおやぎなかったので、それまであまりかけたことはなかった。いったいわたしはあの檸檬れもんきだ。レモンエロウの絵具えのぐをチューブからしぼしてかためたようなあの単純たんじゅんいろも、それからあのたけまった紡錘形ぼうすいけい恰好かっこうも。――結局けっきょくわたしはそれをひとつだけうことにした。それからのわたしはどこへどうあるいたのだろう。わたしながあいだまちあるいていた。始終しじゅうわたしこころおさえつけていた不吉ふきつかたまりがそれをにぎった瞬間しゅんかんからいくらかゆるんでたとみえて、わたしまちうえ非常ひじょう幸福こうふくであった。あんなに執拗しつこかった憂鬱ゆううつが、そんなものの一顆いっかまぎらされる――あるいは不審ふしんなことが、逆説的ぎゃくせつてきなほんとうであった。それにしてもこころというやつはなんという不可思議ふかしぎなやつだろう。
 その檸檬れもんつめたさはたとえようもなくよかった。そのころわたし肺尖はいせんわるくしていていつも身体しんたいねつた。事実じじつ友達ともだち誰彼だれかれわたしねつせびらかすためににぎいなどをしてみるのだが、わたしてのひらだれのよりもあつかった。そのあつせいだったのだろう、にぎっているてのひらから身内みうちとおってゆくようなそのつめたさはこころよいものだった。
 わたし何度なんど何度なんどもその果実かじつはなっていってはいでみた。それの産地さんちだというカリフォルニヤが想像そうぞうのぼってる。漢文かんぶんならった「売柑者之言ばいかんしゃのげん」のなかいてあった「はなつ」という言葉ことばれぎれにかんでる。そしてふかぶかと胸一杯むねいっぱいにおやかな空気くうきめば、ついぞ胸一杯むねいっぱい呼吸こきゅうしたことのなかったわたし身体しんたいかおにはあたたかのほとぼりがのぼっててなんだか身内みうち元気げんき目覚めざめてたのだった。・・・・・・
 実際じっさいあんな単純たんじゅん冷覚れいかく触覚しょっかく嗅覚きゅうかく視覚しかくが、ずっとむかしからこればかりさがしていたのだといたくなったほどわたしにしっくりしたなんてわたし不思議ふしぎおもえる――それがあのころのことなんだから。
 わたしはもう往来おうらいかろやかな昂奮こうふんはずんで、一種いっしゅほこりかな気持きもちさえかんじながら、美的びてき装束しょうぞくをしてまちをかっ(※1)した詩人しじんのことなどおもかべてはあるいていた。よごれた手拭てぬぐいうえせてみたりマントのうえへあてがってみたりしていろ反映はんえいはかったり、またこんなことをおもったり、
 ――つまりはこのおもさなんだな。――
 そのおもさこそつねづねたずねあぐんでいたもので、うたがいもなくこのおもさはすべてのいものすべてのうつくしいものを重量じゅうりょう換算かんさんしておもさであるとか、おもいあがった諧謔心かいぎゃくしんからそんな馬鹿ばかげたことをかんがえてみたり――なにがさてわたし幸福こうふくだったのだ。
 どこをどうあるいたのだろう、わたし最後さいごったのは丸善まるぜんまえだった。平常へいじょうあんなにけていた丸善まるぜんがそのときわたしにはやすやすとはいれるようにおもえた。
今日きょうひとはいってみてやろう」そしてわたしはずかずかはいってった。
 しかしどうしたことだろう、わたしこころたしていた幸福こうふく感情かんじょうはだんだんげていった。香水こうすいびんにも煙管きせるにもわたしこころはのしかかってはゆかなかった。憂鬱ゆううつめてる、わたしあるまわった疲労ひろうたのだとおもった。わたし画本がほんたなまえってみた。画集がしゅうおもたいのをすのさえつねしてちからるな! とおもった。しかしわたし一冊いっさつずつしてはみる、そしてけてはみるのだが、克明こくめいにはぐってゆく気持きもちはさらにいてない。しかものろわれたことにはまたつぎ一冊いっさつしてる。それもおなじことだ。それでいて一度いちどバラバラとやってみなくてはまないのだ。それ以上いじょうたまらなくなってそこへいてしまう。以前いぜん位置いちもどすことさえできない。わたし幾度いくどもそれをかえした。とうとうおしまいには日頃ひごろから大好だいすきだったアングルの橙色だいだいろおもほんまでなおいっそうのえがたさのためにいてしまった。――なんというのろわれたことだ。筋肉きんにく疲労ひろうのこっている。わたし憂鬱ゆううつになってしまって、自分じぶんいたままかさねたほんぐんながめていた。
 以前いぜんにはあんなにわたしをひきつけた画本がほんがどうしたことだろう。一枚いちまい一枚いちまいさらわってあと、さてあまりに尋常じんじょう周囲しゅうい見廻みまわすときのあのへんにそぐわない気持きもちを、わたし以前いぜんにはこのんであじわっていたものであった。・・・・・・
「あ、そうだそうだ」そのときわたしたもとなか檸檬れもんおもした。ほん色彩しきさいをゴチャゴチャにみあげて、一度いちどこの檸檬れもんためしてみたら。「そうだ」
 わたしにまたさきほどのかろやかな昂奮こうふんかえってた。わたし手当てあたり次第しだいみあげ、またあわただしくつぶし、またあわただしくきずきあげた。あたらしくいてつけくわえたり、ったりした。奇怪きかい幻想的げんそうてきしろが、そのたびにあかくなったりあおくなったりした。
 やっとそれはできがった。そしてかるおどりあがるこころせいしながら、その城壁じょうへきいただきにおそおそ檸檬れもんえつけた。そしてそれは上出来じょうできだった。
 わたすと、その檸檬れもん色彩しきさいはガチャガチャしたいろ階調かいちょうをひっそりと紡錘形ぼうすいけい身体しんたいなか吸収きゅうしゅうしてしまって、カーンとえかえっていた。わたしほこりっぽい丸善まるぜんなか空気くうきが、その檸檬れもん周囲しゅういだけへん緊張きんちょうしているようながした。わたしはしばらくそれをながめていた。
 不意ふい第二だいにのアイディアがこった。その奇妙きみょうなたくらみはむしろわたしをぎょっとさせた。
 ――それをそのままにしておいてわたしは、なにわぬかおをしてそとる。――
 わたしへんにくすぐったい気持きもちがした。「こうかなあ。そうだこう」そしてわたしはすたすたった。
 へんにくすぐったい気持きもちまちうえわたし微笑ほほえませた。丸善まるぜんたな黄金色こがねいろかがやおそろしい爆弾ばくだん仕掛しかけて奇怪きかい悪漢あっかんわたしで、もう十分じゅっぷんにはあの丸善まるぜん美術びじゅつたな中心ちゅうしんとして大爆発だいばくはつをするのだったらどんなにおもしろいだろう。
 わたしはこの想像そうぞう熱心ねっしん追求ついきゅうした。「そうしたらあの気詰きづまりな丸善まるぜん粉葉こっぱみじんだろう」
 そしてわたし活動かつどう写真しゃしん看板かんばん奇体きたいおもむきでまちいろどっている京極きょうごくさがってった。

※1 「さんずい+闊」、第4水準2-79-45


明確な理由が無い突然来る不安感やなぜだかワクワクしてしまう高揚感など、私たちも経験があるような感覚なのではないでしょうか。
短い話の中で主人公の何度も移り行く感情の変化を読み解くのが面白い作品ですね。
次回の短編紹介もお楽しみに。

引用元:青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/index.html)
底本:「檸檬・ある心の風景 他二十編」旺文社文庫、旺文社
1972(昭和47)年12月10日初版発行
1974(昭和49)年第4刷発行
初出:「青空 創刊号」青空社
1925(大正14)年1月
※表題は底本では、「檸檬れもん」となっています。
※編集部による傍注は省略しました。
入力:j.utiyama
校正:野口英司
1998年8月31日公開
2016年7月5日修正

Grandhoodでは、杖やショッピングカートなどシニア世代の『歩く』をサポートする商品やバッグ・お財布などの可愛い猫雑貨を販売中です。ぜひチェックしてみてください♪

全商品一覧を見る

関連記事